秋葉原殺傷事件を起こした加藤智大さんの、死刑が執行された。 既に一部のメディアでは、「ロスジェネのテロ行為に対する抑止的死刑」という見方も出ている。 再審請求中だったと報じているメディアもあることを考えると、100%そのため、とまでは言い切れないかもしれないが、テロ行為の抑止の意味合いもあったのかなぁ、と感じる。 この、秋葉原殺傷事件と阿部元首相暗殺事件の犯人は、両者とも「無敵の人」と呼ばれている。 氷河期世代で、不安定な雇用状況、失業したばかり、そして孤独。 犯人像を追う、のような時に引き合いに出されることが多かった二人。 加藤智大(1982年生まれ、男性) 山上徹也(1989年生まれ、男性) 「無敵の人」という言葉は、今は結構認知度が上がった言葉になっていると思う。 彼らよりはちょっと先に生まれてはいるが、初期氷河期世代である私個人の実感としても、彼らの生活や心理状態は非常に身近なものだ。 氷河期世代は、一応「1970年~1982年生まれ」とされているようだが、最終学歴等で上下はあるだろう。 同じ1970年生まれでも、高卒で就職した人は氷河期前になるし、文系か理系か、男女、地域などでズレは生じる。 なので、今回の山上容疑者も氷河期世代と言われているのではないだろうか。(厳密にはちょっと氷河期より後に生まれている感はあるが) 就職氷河期、「時代が悪かったねー」だけで済む問題ではなくなっている。 氷河期を自己責任でほっといたせいで、現在、非常に解決が難しくなっている問題は沢山ある。 少子化、高齢化、企業の年齢分布の歪み(定年間際と、若手しかいなくて、技術継承が上手くいかない)、年金問題、貧困、引きこもり、そして予想される生活保護の増加、等など・・・。 この世代の中に、第二次ベビーブームで生まれた人口が多かったことも災いした。 「第三次ベビーブーム」があれば、ここまで高齢化社会にはなっていなかったかもしれない。 なんといっても、期間が長いのだ。 最低定義でいっても、12年あることになる。干支一周してしまう。 普通に22歳で大学を卒業したとして、氷河期が終わったのが34歳。 新卒採用バンバンザイの日本企業からすると、「技術もなく、年だけ取ってるから、新卒のような人間に年齢給で多めに給与を払わなくちゃいけない」=「じゃあ若手がいいや」となる。 そして、そうなった。 そうなってから、なんの救済措置も取られずに、若手が普通に新卒採用されているのを横目に見つつ、アルバイトや期間工、パート、非常勤、派遣社員としてろくな給与ももらえず、かつかつの生活を続けて現在に至る。 その期間、約30年。 自分たちの就職戦線の時には生まれていなかった子たちに追い抜かされる。 何か声をあげても、「自己責任」「もっとやりようがあったんじゃないの?」「努力が足りなかった」「バカだったんだね」「女だから仕方ないよ」「若いうちに風俗に勤めて稼いでた方がよかったんじゃない?」と返ってくるだけ。 これ、かなり悲惨じゃないですか?? 実際、私自身もこの中のいくつかの言葉は人から言われたことがある言葉だ。 その時に腹の中から湧き上がってきた「どす黒い」感情は、昇華されずに未だに私のどこかに潜んでいる気もする。 それでも、私は一応女性なので、人と話すことや、同じ境遇にいる人との会話、家族との会話などでその気持ちをグッと堪えることが出来ているのだと思う。 しかし、そもそもが「会話」でのストレス発散が難しいと言われる男性。 この悲惨な状況を、誰とも分かち合うことが出来ずに、しかも「男はやっぱり稼ぎだよね」などといった「べき論」にしばられていたとしたら、「どす黒い」ものはどんどんと密度を増し、肥大化していき・・・そして何かの拍子に、パチン!と弾ける。 どす黒いものが弾けてしまったら、本人がそれに浸食され、逃げ場をなくし・・・・ 彼ら二人のしたことは許されることではない。 しかし、私の中の「どす黒いもの」が、「今まで、自己責任って言われ続けたんだから、被害に遭った人も自己責任だよね。そこに行かなきゃよかったんだから」と考えてしまっている。 出口のない問い。 解決策のない問い。 キツイなぁ・・・・