氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

高齢男性 なぜキレる かけ離れるコミュニケーション

今日はちょっと、「男性のコミュニケーション能力」という事を書いてみたいと思う。
というのも、最近ネットニュースでよく目にするのが、「60代男性 市役所で乱闘」とか、「63歳男性 駅でケンカ」のような記事だからだ。
(一度こういう記事を見ると、SEOで関連記事が上位に上がって来ちゃうから、余計見ることになるんだけどね・・・)

こういう、高齢者がキレた事件、カスハラ、恫喝等に関しては、考察としてよく「孤独」や「定年退職してからの身の置き所がない」などが原因だ、というように書かれることが多い。
ある程度までは、私も賛成するところがある。(見ている限り)


私が実体験として一番「やだなぁ」と思うのは、「ぶつかりおじさん」ならぬ「直撃じーさん」だ。
「ぶつかりおじさん」にも何度も遭ったことがあるが、「直撃じーさん」はなかなか面倒だ。
このコロナ禍、ほぼ通勤でしか出歩いていない私なのだが、何度か通勤時間帯に遭遇している。帰りが多いかな?
カッとこちらを睨みつけ(その時点でターゲットにされたことが分かる)、すごい勢いで頭突きする感じで突撃してくるのだ。
思いっきり頭突きされたら、転ぶ、危ない、等もあるが、テレワークのためにPCを持ち歩いている時などは「PC壊れたら困る!」と思ってしまうので、頭突き寸前に体をひねって上手いことかわすしかない。

満員電車を降りたばかりとか、ホームの構造上、なかなかかわすのが難しいところもあり、ぶつかられることもあった。
自分も痛いが、まぁあっちも頭痛かっただろうな、と思いつつ、まずはPCの無事を確認する・・・・のだが、稀に、「は???」となってしまうケースがある。
それは、上手く避けた!!とホッとした時に、直撃じーさんが文句を言ってくることだ。
「ちっ」と舌打ちするくらいならまだいいが、「よけんじゃねーぞ!!」「堂々と歩いてんじゃねぇ!」(言葉は強いが、大声ではなかったりすることが多い)などと言ってくるのだ。
いや、突進されたら避けるでしょ。堂々と歩いて何が悪いのかサッパリ分からん。別に、ブランドものゴテゴテでもないし、フツーの服着てフツーに通勤してるだけなんだが。

こういう時を、「頭の中が真っ白になる」って言うんだろうなー、と、思う。

まぁ、私は直接自分に降りかかって来たことがあるのがこの「直撃じーさん」くらいなのだが、駅や区役所、カフェ等でわめき散らしている高齢者は見かける。


そうすると、ネットでは「キレる老人」といったような記事が出て来る。
なるほどなぁ、と思うところもあれば、そーかな?と思うところもある。

どんな点が一番「そーかな?」と思うのか、というと、「男性がキレるのって、高齢者に限らないんじゃない?」という点なのだ。
(今回は、あえて「男性」に関して焦点を当てている。勿論、キレる女性もいるのだが、それは別の機会に。)

「ぶつかりおじさん」のように分かりやすい「キレてる」男性もいるが、家庭、職場、レストランやカフェ、商業施設、どこでもふと目にすることがあるのが、「不機嫌な男性」だ。
いわゆる、フキハラしている真っ最中、という状態。

私も、主婦だった頃、元旦那と言い争いになったり、そうでなくとも何かすれ違いがあった時などに「とにかく黙ってしまう」元旦那に閉口したものだ。(当時はフキハラ、というものは認識されてなかったですね)
「何かあったなら言って」、「何が嫌なのか言って」、「何で怒ってるの」。
 全て、返事は「無言」。
仕方がないから、あーでもない、こーでもない、と元旦那が嫌がっていそうなポイントを手探りで探して、解決する。
例えば義実家への連絡や、食事内容(魚が続いたから肉、とか)、元旦那がいつも占拠しているテレビ前を重点的に掃除する、自分が出かける用事をキャンセルする(それが例え病院やら美容院だけだとしても)。
それで、何がポイントだったのか分からないが、不機嫌ターンが終了し、あーあ、今回も面倒だった、と思う。
この繰り返しだった。

また、職場でも上司が突然挨拶も返してくれなくなったり(返してきてもすっごーーーく小さい声)、何か聞いても返事がぶっきらぼうだったり、メールの返事を全然くれなかったり・・・というものもある。
これはどこの部署に行ってもあるあるではあるが、偶然なのか何なのか、日本人以外の「不機嫌な男」にはほぼ遭遇しない。
(私は20年以上、外資系に勤めております。)
同僚や上司が不機嫌な感じになっているのを私が気付くようなタイミングだと、本人から「今日中に予算組みなおししないといけなくてね」とか、「ちょっと今日は忙しい。悪い」という感じに説明が入る。 あー、そうなんだ、じゃあ急ぎじゃないからこれは明日にしよう、とか、今日は緊急じゃない限りはほっとこ、と自然と思うので、ほぼストレスにはならない。(つまりは本人から理由を言ってくれるから。) レストランやカフェ、商業施設で不機嫌になっている男性は、大抵がお連れさんがいらっしゃるので、何かあったのかなーと思いながら見ているくらいなので、何があったかは分からないが・・・。 ここまで考えてみると、高齢男性がキレるのは、「今まで不機嫌にしていれば周りが忖度してくれていたことが通用しなくなったから、キレてしまうようになった」のではないか、と感じる。 それまでは、職場では部下が気を使ってくれていた(この世代に、「同世代」で「女性」の「同じくらいの肩書」の人がいた、という方は少ないだろうから、年下男性部下、そして年齢に限らず女性は忖度したのでは、と想像)。 家庭では、妻が忖度してくれ、また息子がいれば、自分と同じように不機嫌でいる「メリット」を覚えてくれたので、息子の妻にまで忖度を「無言」のうちに強要することが出来たのでは。 「不機嫌でいる」だけなので、そこにはコミュニケーションは必要ない。 言葉で説明する必要はないし、あれこれしてくれ、と頼む必要もない。 下手をしたら、「何故自分が不機嫌なのか」を言語化することもせずに、自分が心地よく過ごせるように周りが動いてくれるまで、「不機嫌であり続ける」だけでもよかった・・・???
(それが、何故「俺が喉が渇いているのが分からないのか。コーヒー飲みますか?」と誰も言わないのはなぜなんだ、というようなくっだらないことであっても) これでは、コミュニケーション力が下がっていく一方である。 そんなコミュ力が下がりきった高齢男性が、さて定年を迎えました、肩書がなくなりました、気付いたら会話する相手は妻だけ(ラッキーなら息子がいるが、息子が結婚していたら余計ややこしくなる)になりました。 妻はまだパートに出ていたり、ご近所、パート先の友達、学生時代からの友達と、何だか楽しそうです。 自分は友達をつなぎとめようとはしてこなかった(むしろ、学生時代の友達とは、会社のステイタスなどでマウント合戦をしていたので、ライバルとしてしか認識できなくなった)ので、話す相手もいないし、話す内容も野球やサッカーのことくらい・・・。 それでもそこから奮起して、再度友達関係となれればいいのですが、マウントをいきなり外すことも出来ず、かといってもう誰も忖度してくれなくなり、不機嫌な顔をしていたらみんな出かけてしまったり、連絡をくれなくなったり・・・。 ああ、八方ふさがり。 こりゃあ、確かにキレてしまうでしょうね。 かといって家事スキルがないので、妻にこれ以上あからさまな文句を言うのも怖いし(家事能力がないのは、案外本人は自覚しているようだ。言わないけど)、子供たちは別世帯、もしくは別の場所で 独立しているし、わざわざ電話をかけて話すこともない。 コミュ力がない上に、「コミュニケーションする相手」がいない、となるわけです。 そもそもが男性は、人に弱みを見せるのが苦手、とされています。 なので「実はさぁ、奥さんがね」と相談することも苦手となりますし、「職場で、部下がさぁ」と相談することも苦手、となります。 それに加えて上記の「コミュニケーション相手なし」と長年のフキハラで培った?「コミュニケーション不全」が合わせ技で来ると、気付いたら・・・・となってしまうのは、簡単に想像できる気がします。 そこで、実際に「昭和のサラリーマン」を貫き、部下からは慕われていたようだが家庭ではボロカス状態だった我が父が変化を遂げた実例を2例ほど。 1.父は、母と長いあいだ、一緒にテニスに通っていた。 
  ⇒母が、「この人、家の鍵を持ち歩かないの。だからどんなに遅くなっても、私か娘のどちらか   
   が起きて待ってないといけないのよ」と暴露 
  ⇒「そりゃないだろう。奥さんだって働いてるし、娘さんだって大学生、そろそろ就職なんだか  
    ら無理だよ。それ以前に、小学生だって家の鍵ぶら下げて歩いてるぞ」とテニス仲間の男性
    陣+女性陣にフルボッコにされ、それまで20年以上貫いていた「家の鍵は家族が開ける」
    を撤回。     自分で鍵を持ち歩くようになりました。(確かこの時点で50代だったと記憶している) 2.母の手術+入院。 父は、娘2人がいたという事もあり、家事はまぁ言われて掃除機をかける程度。自分の専門書の書棚だけはきちんと掃除してました。 しかし台所となると、ほぼなーーーーーんにもしたことがなかったです。 そして両親ともに60代に入ったか、という頃に母が手術のために入院。心臓だったので、入院期間も長くなることは知らされていました。(父だけだと担当医からの話も耳半分に聞いてしまうので、私か姉が必ず同席して、どんな検査をし、それがいつであり、それによってどんな術式になるか、 ということを聞いてきました。後から聞くと、父は「なんか検査して、それで方法が決まるんだろ」くらいしか理解してなかったです。) そうして始まった母の入院生活。 父は最初、お湯を沸かすことすらできませんでした。なんでこんなことを教えているんだろう、と思いながら教える娘2人。 スーパーやコンビニでの買い食いもしたことがない父でしたので、「お弁当を買う」ことすら出来なかったのです。 一緒にコンビニに行き、チンしてもらって帰る。その時に父がボソっと「あっためてくれるんだな」と言った時、漫画のようにずっこけるかと思いました。 母の病院の帰りにヨーカドーやコンビニに寄ることを覚えた父。 コンロにかけるだけの一人分の鍋物(ちょうど冬でした)があることに衝撃を受けている父。その父に衝撃を受ける娘(私だ)。 また、入院も長引きそうだからお惣菜もちょっとは置いておくか、とひじきを煮て、一食分づつ小分けにして冷凍して渡しておいたのですが、次に行った時に冷凍庫を見ると、全てそれがそのまま残っている。食べた形跡がない。 「ひじき嫌いだっけ?」と聞くと、「凍っとる」との返事・・・・ 電子レンジの使い方をもう一度教え、その後に行った母の病室で愚痴をこぼすと、「もうちょっとさせないとダメね・・・」と母までタメイキ。ごめんよ、手術後なのにこんな話聞かせて。 母の退院までの間に、父もある程度は台所仕事が出来るようになりました。 さて、何故私がこんな例を挙げたのかというと、「男性は仲間内でこういった話をしないので、自分が出来ないことが普通であり、問題だと思っていない」=「問題意識のなさが、高齢化した時に孤独、セルフネグレクトにつながるのではないか。そして、セルフネグレクトになってしまうのは、出来る出来ないの問題以前に、なんで誰もやってくれないんだ、という怒りを覚えているからなのでは」と考えているからです。 父は、自分が自宅の鍵を持たず、何時であろうと(0時だろうが夜中の2時だろうが)家族が開けてくれて、明るい玄関で「おかえり」と言ってくれるのが当たり前だと思っていた。 =兼業主婦だった母がどれだけ寝不足だったかとか、娘たちがそれを見越して、なるべく大学で1限の授業を取らないようにしていた、といったことはチラとも考えたことはなかった。 自分で自分のご飯を調達できないということが、娘たちにこれほど負荷をかけることだとは思っていなかった。 (毎週末、私は車で自宅→実家→病院、というようなコースで回ることになり、母が退院する頃には私が入院しそうだった) これが、父がもう少し会社の若い人たちや同世代でも奥さんとスーパーに行くような人と話をしていれば、ある程度先に回避出来た部分もあっただろう。 「一体いつ退院できるんだ」と言い出した時には、「お母さんの体の方が大事でしょ!!言い方があるでしょ!」と姉に怒られたと言っていた。 これも、「体調はどうだ。リハビリとかあるのか?」のように会話を進めていくことが出来れば、最終的に「いつ頃退院できるんだろうなぁ」というセリフにたどり着いたとしても、聞いている方のとらえ方は全く変わってくる。 この、ソフトランディングさせるコミュニケーション。 思いがけず弱音を吐くことになってしまうかもしれないが、ある程度まで自分を見せるコミュニケーション。 そういったスキルを身に着けておけば、例えば市役所、区役所で「どれだけ待たせれば気が済むんだ!!!!」と暴れまわる前に、大抵の役所でヘルプとして立っている係員さんに、「もう30分も待ってるんだけど、後どれくらいかなぁ」とワンクッション置けるだろう。 そういうことが出来れば、「キレてる高齢者」にカウントされることもないだろう。 「実は何時に病院に行かなくちゃいけなくって、結構ギリギリなんだ・・・」などと言えれば、係員さんも交渉してくれるかもしれない。 そしてこういうコミュニケーションを取っていれば、いつもマグマのように煮えたぎったイライラをお腹の中に抱えていなくても、駅で女性に突進したり、ケンカしたりすることも減るんじゃないか、と思う。 「孤独」がイライラを増幅させているとしたら、例えそれが店員さんだろうと、床屋さんだろうと、一瞬の「孤独」は紛れる。 相手の業務妨害にならない程度に、「孫にプレゼントしたいんだけど、おススメはあるかな?」と話せばいいのだ。孫がいなければ、「今日はどのコーヒーにしようかな」とつぶやけば、よほど忙しい店員さんでない限りは、「今日はこれが美味しいですよ」などと勧めてくれるだろう。
それだけでも、コミュニケーションだ。お勧めを飲んで、お会計に行ったら「いかがでしたか?お口に合いましたか?」などと言ってくれる人もいるかも知れない。
そうやって、一日一善ではないが、一日一言、をやれば、塵も積もればになるのだけど。 なんて、本当につらつらと書いてきてしまった。
ちなみに、高齢になって「年をとったら性格が丸くなった」というのは、海外ではまだ健在のようである。日本も、少し前までそうだったような気もするのだが、どこへ行ってしまったのだろうか。
高齢化社会日本、それにプラスして「超マジギレ高齢化社会」にならないように願うばかりである。