氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

ジェンダー 女性であることを隠す人たち

美大学生は7割女性/教授は8割男性

こんな記事を見つけた。
まぁ、私の世代+現状からすると、「さもありなん」な数字だ。

こういうテーマで書くと、「フェミだ!」とか言われそうだが、あえて書く。
毎日新聞が出している記事からのデータだと、下記の通り。

・東京芸大		学生の7割が女性/教授の8割が男性
・個展や購入作品数		8割が男性	
・芸術選奨などの賞		審査員の71%が男性
			大賞受賞者の75%が男性
・主要15館での個展		84%が男性
・7美術館での購入作品数	80%が男性(女性は14%とあるが、あれ?100にならないってこと
              はLGBT分なのかな?) ・19団体の映画の賞選考 8割以上が男性 ・日本アカデミー賞 監督賞、脚本賞、作品賞の監督 
               10年間で121人が男性、7人が女性 ・毎日映画大賞(監督) 全員男性芥川賞 選考委員、受賞者共に56%が男性、44%が女性(但し過去10年) ・小林秀雄審査員、受賞者共に全員男性(過去10年) と、上記に上げたものは毎日新聞の記事の中の一部になるが、その感想としては、おそらく私世代の人は「そりゃそーだろ」になるんじゃないかな。 例えば、医学部受験の時に女性だけ減点されることがほぼ「制度」のようにまかり通っていたり、都立高校の男女の偏差値が違っていたり。 女性にだけ「一般職」「総合職」という謎の区分けがあったり。 会社内でも花形部署は男性比率がえらく高かったり、「これはすごいプロジェクト!歴史的!!」というものは男性で占められていたり。(個人的経験からも、プロジェクト等の最初は女性が担当だったものが、これは認められるプロジェクトだ!と変わった途端に男性に担当が変わったりもある。私は外された側なのだが・・・) もちろん、賃金格差は言うまでもない。(女性が努力して高給取りになったら、その旦那が卑屈になって卑屈DV?のようなことをする謎現象が起こったりもする) 国会、市町村議会、そんなものも同じだ。ババーンと勢ぞろいの写真が出るようなものには、ほぼ男性の、60歳くらいの人たちが並ぶ。 (これからは名前の下に、その男性陣の年齢とともに「昭和XX年生まれ」とかも出してもらいたいと思う。若い人たちは、「えっ!死んでる年齢じゃん!!!」と素直にぶっ飛んでくれる気もするし、どれだけ「男・老人・XXの長男」みたいな属性が占めているかを見て、「マジキモい~~」と言ってくれるのではないかと、内心ワクワクする。
(何かのインタビューで、昭和生まれってまだ生きてるんですか?みたいな発言をしている子がいて、流石に「私も昭和生まれだけど生きとるわ!ww」とツッコミを入れてしまった。) 注:私見だが、ご本人が「俺ってすごい」と思っている属性(ナントカ家の長男、とか、誰それの子孫、とか、出身大学とか)をあえて並べてもらったら、どれだけ偏っているかが一目瞭然になって面白いのではないか、と常々思っている。 まぁ、この数字を見て、様々なことを考える人がいると思う。 男は女より優秀なんだから、当たり前だと思う人もいるだろう。 女は出産やら育児やらがあるから、仕方ないじゃないかと思う人もいるだろう。(男性側がそう思うのと、女性が諦め90%で思うのとは性質が違うと思うが) ノーベル賞だって男が多いんだから、こんなこと調べても意味ないだろう!と思う人。 これこそが女性が差別されていることの証拠!と思う人。 それぞれの人には、それぞれの下地があるので、「本当の正解」はないと私自身は思っているのだが、やはり女性として、一部首を傾げてしまう部分もある。 また、「日本」という特殊な文化の中、あまりにもそれが「当たり前」になってしまっているので、したたかに男を盾にして、自分は守られた状態にいよう、と考える人がいるのも理解できる。 逆に、「男は敬られて当然」「男は偉い」、と未だに刷りこみが残っている人がいるのも、理解できる。(若手層だと、イタイ発言だと思ってしまうが) 最近の、ジェンダーギャップ指数などでは、まぁ一番に日本はG7の中でもダントツに引く順位だという事が報道もされている。 そして主に、政治や、経済(管理職や企業主)の女性率の低さが足を引っ張っているという事。 でも、それ以前に私には気になっていることがあった。 それに少し関係があったので、今回、毎日新聞のこの記事(文化面から見たジェンダー)に目がいったわけなのだが、何が気になっていたかというと、「女性であることを隠している/性別が分からないようにしている漫画家」の存在だ。 最初に気づいたのが「鋼の錬金術師」の荒川弘さんだ。 何かの書評かインタビューか、巻末などで「実は連載中に出産してるけど、休載しなかった」というようなことが書いてあり、慌てて調べてみたら本当に女性で、正直驚いた。 「鬼滅の刃」の吾峠呼世晴さん。 こちらは、絵柄のところどころで「もしや」と思ったところはあったが、確定となった時にはやはり驚いた。 「聖☆おにいさん」の中村光さん。 こちらは、作品は読んではいなかったけれど知ってはいた。そして、絵柄や内容も知っていたので驚いた。 知ってから読むと、あー、なるほど。と思った。 何故、女性名を使わなかったのか。 何故、「著者近影」のようなものに写真を使わなかったのか。 勿論、男性とも女性ともとれる名前を使いたかった、男性名を使いたかった、思い入れのある名前にしたかった。 とか、写真が出るのはヤダだなぁ、写真撮られるの嫌いだから絵にしておこっと、とか。 そういうのもアリだと思う。 しかし、鬼滅の刃の作者が女性だと分かったときに、いくつかのサイト、Twitterなどで「女だったなんて!」「読む気がなくなった」といったコメントを見かけた時、あーあ、やっぱりここでもか、と思ってしまった。 感動するもの、素晴らしいもの、すごいもの、全て男性が作ったもの、じゃないといけないのだろうか? 何で作者が女性だったら、読む気がなくなるのか? なんで、こうなるかなー・・・・・・・・・

各受賞者の男性率の異様な高さ、大人気になった作品の作者が男性名(もしくは両性名)を使用すること。
この二つは、ある意味繋がっている事象ではないかな、と思う。
男女、LGBT、そういったことは全く関係なく、「作品」や「成果」で評価することは出来ないのだろうか。もしくは、どうしてもそれは難しい、というのであれば、やはりクォータ制を導入することはできないのだろうか。(審査員を男女半々にする等)
でも、そもそもそういったことを決める機関のほとんどが高齢男性で占められている以上、そういう変化も・・・期待は出来ないなぁ・・・・