氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

スピーチの仕方と、残念岸田首相

リアルな雑誌でもWeb雑誌でも、「経済学者ナンチャラ~~」とか、「ノーベル賞経済学者ナンチャラ~~」とかが冠につく人の記事がよく掲載されるようになった。

経済紙では当たり前だが、Webになることで、誰でも読めるようになってきたので、目に触れる機会も増えたのだろう。

(途中から有料、が多いので前半しか読めない方が多いが。)



そんな経済学者の記事の中に、こんな文章があった。

「ボソボソ喋る眼鏡の男、キシダに国を任せていいのか」



岸田首相の話す内容も内容だが、確かに「話し方」も非常に海外ウケは悪いと思う。

日本人相手にすら、説得力がない。政治家ってのは中身がない事でも、演説や討論のうまさで「なんだかすごい事を聞いた」と思わせるような部分も大きいと個人的には思っているが、岸田首相は、残念ながらその迫力に欠けている、と思う。

あまり人に目を合わせず、俯いたまま(原稿を読んでいるのがバレバレなのは失笑だ)、ボソボソと口の中で話す。

手の動きもあまりなく、表情で説得する部分もあまりない。

総じていうと、「政治家としての表現力、演技力」に欠けている、という事か。



以前から、「日本人は演説や、議論、討論が下手だ」とは言われて来ていたし、聞いてきた。

それにしても最近の首相は軒並み下手だと思う。

なんというか、話し方、姿勢、態度に「自信のなさ」や「・・・こう言っておけばいいんだよね?(チラッ)」というのがにじみ出ている気がする。

誰か、あなたを動かしている人がいるだろう、ブレーンのご機嫌伺いをしたり、何を言えるか、何は言ってはいけないか、の指針は他人が握っているのが態度に出てしまっているように感じる。



ぶっちゃけ、私は「誰かが陰にいる」「他人の書いた原稿を読んでいる」でも、仕方がないと思う。

政界が真っ黒黒なのは分かり切っているし、国民から見ても、「この人が本当は牛耳ってるのかなぁ」と思う人はある程度当たりは付けられる。

 

それでも、オドオド、キョロキョロ、ボソボソしてしまったら、それはあまりにも情けないと思うのだ。



私は高校の時、当時としては珍しく英会話の授業が週1回あり、私の時はアメリカから来た若い先生が授業を担当していた。(約30年以上前)

(彼女がボストンから来ていたため、私の英語にはいまだに一部ボストン訛りが残っているらしく、出張先で本社の人などから「君はアメリカにいたの?」とか、ピンポイントで「ボストンに住んでたの?」などと聞かれることもあるが・・・それは脱線話)

週に1回、しかも30年も前の「高校での英会話」なので、ほぼ楽しんで英語を使ってみる、という内容が多かったと思う。

それこそ、当時流行っていたMadonnaの歌を歌ってみる、とか、見に行った映画のパンフレットやチラシを持って来て、それを見て、先生とおしゃべり、とか。(映画のタイトルが原語と、日本語のタイトルでどれくらい違うか、なんてのもやったなぁ。先生まで邦題のトンデモ訳を聞いて、大爆笑していたのを覚えている)

 

ほぼ、「楽しみ会」状態だった英会話だが、それでも、毎年行われていた文化祭に、折角英会話の授業が始まったのだから、という事で「英語で演説」というトーナメントが出来た。

その時の課題となったスピーチは、1961年のケネディ大統領就任演説。

一番有名な部分は、

「Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.」

「国が何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国に何が出来るか、問うてください」

というものだ。

今思えば、かな~~り性善説(及び自己責任)なスピーチだが、自分が人生で初めて暗記したスピーチという事もあり、30年以上経った今でもかなり覚えているし、思い入れのあるスピーチの一つだ。



この時、「出場者全員が同じスピーチをするが、一番説得力があるように伝えられた人が優勝」だった。

(勿論、英会話の授業から派生したトーナメントだから、そもそも暗記出来なかった部分が多かったり、発音の間違い等が多かったらそれは減点。)

確か、それぞれ夏休みの間に暗記して(出場したい人だけ。ただ、クラスで一人は必ず出る)、夏休みの登校日や、2学期の文化祭までの間で先生が空いている時間などに個人指導してもらうことが可能、というような感じだったと思う。あくまでも原則、自由参加。誰も出たくない、といったクラスだけ戦いになったんだろうな)

私はその英会話の先生と下校が同じになることがあり、元々話していたので、結構個人指導してもらった記憶がある。



私はそのトーナメントに参加することで、ある意味初めて、「どうやって同じセリフで、より説得力をもたせるか」という指導を受けたことになる。

全員、するスピーチは同じ。

言葉も同じ。付け足しもなし、減らす部分もなし。(忘れてすっ飛ばしたら減点だし)

その状態で、声の出し方、抑揚、高低、速度、どこで切るか、切った後、間に沈黙を入れることでどれくらいためるか、等など・・・



英語自体の発音等もだが、先生はどちらかというと発音はジャングリッシュ(ジャパニーズイングリッシュ)でもいいから、いかに説得力を持たすか、つまりは「いかに演技するか」という事に力点を置いていたと思う。

 

たかだか高校生の、学内の文化祭でだけのトーナメントでも、「人と同じ台詞で、説得力を持たせる」というのはなかなか面白かった。

勿論難しかったが、それが面白かった。



思うに、日本の政治家はその訓練を受けてない人が多いのではないだろうか?

下を向いて、原稿をボソボソ話すのと、ある程度頭に入れておいて(たまに確認するのはまぁOK)、力説するところは力説し、口惜しや、というところは正直に表情に出し、信じてほしい時はまっすぐに目を見る。

ただこれだけの事でも、聞き手の感情は変わってくるはずだ。



日本に限らず海外でも、聴衆を「引き込む」話し方をする人は、影響力を持つ

そういう「話し方」「討論の仕方」「議論の仕方」を、特別に学ぶ人も多い。(スティーブ・ジョブスもそうだったとか)

日本の政治家でも、YouTubeの切り抜き~~とかで見かけるのが、山本太郎だったり、小野田紀美だったりするのは、彼らの話し方が上手いから、という面が大きい気がする。

山本太郎は元俳優だし、小野田紀美は確か帰国子女。

力を入れるところはオーバーに、つまらなくならないように専門用語を減らして、ちょっと笑う部分も残して、緩急をつける。

 

だから、「政治の話なんだよ」=「つまらない」ではなくなるわけだ。

そうすると、最終的には「政治」の話になるとしても、導入から平易な言葉で説明し、なるべく話し言葉で始まっているので、最後に「政治用語」になっても、なんの話をしているか、聴衆も分かるし、国会答弁を見ていてもスッと入ってくる。

 

確か、田中角栄もそうだったなぁ、なんてふと思い出したり。

後は、歴代日本人政治家の中でも、異色であり、これといった大きな演説はなかったが、記録がなかったりするだけで「日本」という国を尊厳を持って保とうと尽力した、白洲次郎

吉田茂関係の回顧録や、逸話にも多く出て来るし、マッカーサーの談話にも出て来る。

私がはっきり、「日本人の政治家で有能な人、有能だった人は?」と聞かれて答えられるのは白洲次郎くらいかな。



今は日本は政治だけではなく、経済も、人も、人の行動も心も激動期を迎えているような状態だ。

自民党の中でも、ちゃんとした考えを持った人は少ないかもしれないがいるはずだ。

もし、与党としてまだ政権を手放さないのであれば、国のこのざわつきを抑えるためにも、ちゃんとしたディベート術、演説のコツを、党内内部でもいいから学習してほしい。

特に岸田首相。

あなたの話し方で、海外から見る日本が変わっちゃうんですから、オドオド話さないでください!!!!



・・・最後に、高校の文化祭でのそのスピーチトーナメント、私は2位まで食い込んだが、帰国子女に1位を取られちゃったぜーい。