氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

ハラスメントは、男女共に被害者にも加害者にもなる

AERAが、面白い記事を書いていた。
セクハラは、「男性こそが声をあげるべき」というものだ。
関西大学教授が寄稿した記事のようだが、私はこれに賛成である。
この、「セクハラを男性が意識する」ことと、いろんな「不合理」に「気付く」ことが、今、逃げ道がなくなっている日本を変えていく手段の一つである気がしているからだ。

 

記事の中では、セクハラに対する男性側の意識が2極化していることに触れられている。
つまり、「加害者になることを恐れて非常に注意している」人と、「昔ながらの考え」の人の2極化だ。
私はこの間に、「加害者にならないようにしているけど、ついうっかりたまにヘマをする」人、のもう1極があると思うのだが、まぁ、それは考え方次第でいいと思う。

 


セクハラ防止、というものの名のもとに男性が「逆差別だ」と声高に言っているもののいくつかも、男性同士で共通の理解をある程度持てば、ああ、なるほど、となったり、ホッとしたりするものも出て来るのではないだろうか。

そして、そういった事はセクハラに限らず、パワハラだったり、ソジハラだったり、あらゆるハラスメントに当てはまると思う。(一番分かりやすいのはセクハラなのだが)
以下、私が個人的に思いつくものである。

 


1.男性から男性へのセクハラを止められる
文字通り、セクハラを受けるのは女性だけではないし、セクハラを受ける男性への加害者が、女性だけとも限らない。
子供の頃、私などの世代にはまだ「セクハラ」というような言葉すらなかったので、先に第二次性徴を迎えた男子が、まだの男子に「お前まだ〇〇生えてないんだろ!見せろ!」とか、「むけてねーんじゃねーの?」などとからかっていた現場を見たことがある。
大人同士でも、先日、某引越業者でのセクハラ(いじめ)が報じられたばかりだ。
男同士だと「いじめ」と言い換える場合もあるようだが、はっきり「セクハラ」と言ってしまった方がいいような気がする。

「いじめ」という言葉は、一種、犯罪を過小評価するものだと私はずっと思っている。

 


2.痴漢に対する認識
痴漢=加害者は男性、被害者は女性、と考えられがちだが、男性にも被害者になってしまう人はいる。
その場合の加害者は、男性の時もあれば、女性の時もある。
痴漢被害者になってしまった男性が、痴漢を軽々しく考えている男性に「あれって、ほんと怖いし、気持ち悪いんですよ。その時着てた服とかスーツとか学生服とか全部、捨てたくなるし、電車自体もう乗りたくない!って思うんですよ。女性に触られたらラッキー、なんてそんなこと全然ないです」という事が出来たら、「ちょっと触るくらいの痴漢でもそんなにイヤなもんなんだな、トラウマになるんだな」と理解できる人がいるかもしれない。
それが1000人のうちの1人でも、被害者は確実に減るのだから、いい事である。
(痴漢は常習性があるので、軽い気持ちで初めてしまったとしても、早めに「あ、ダメなんだ」と新たな認識が出来ることで重度の常習性を持ってしまうところまで行かないかもしれないのだ。何度も何度も成功体験を繰り返してしまうと、それはもう重度常習者になってしまう)

 

3.「逆差別」の荒唐無稽さを男性同士で共有できる
女性専用車両男性差別だ、という論議SNS等で見かけることがある。
そもそも論として、「痴漢」がいなかったら、「女性専用車両」も作る必要はなかったのだ。
それを、「痴漢冤罪」もあるんだから、「男性専用車両も作らないと不平等」と言っているのだが、まず母数が違う。「痴漢」の数と、「痴漢冤罪」の数は桁違いなのを忘れているのではないだろうか。「痴漢」がなかったら、「痴漢冤罪」もほぼなくなるのだ。(痴漢があまりにも多いからこそ、「冤罪」が生まれることになる)

 

とある研究者が調べたところ、「痴漢」という言葉が今と同様の「女性にみだらな行為をする男性」という意味ではっきりと使われているのは、遡ると1955年あたりになるらしい。
1955年=昭和30年。
エピックとなる出来事でいうと、日本が国際連合に加盟したのがその翌年、昭和31年である。
東京オリンピック(最初のね)は昭和39年だ。

昭和30年から今まで、65年以上に亘って痴漢は存在しているのだから、ある意味驚きだ。


では、痴漢と痴女と、どちらが多いのだろうか?
「痴漢です!!」と女性が発言することが容認されてきたのは、まだまだ日が浅い。(それでもまだ少ない。警視庁アプリや、監視カメラの影響でだいぶ言えるようにはなっているが。)

そう考えると、「痴女です!!」と男性が声を上げるには、もっと時間がかかるのではないだろうか。
男性が自分の身を守るためにも、「男性だってセクハラされるし、痴漢(痴女)にも会う」と発言したっていいだろう。
男性同士で、茶化すのでもなく、「泥棒に入られた」「交通事故に遭った」と同じ感覚で「セクハラされた」という権利を男性が保持するためにも、「痴漢/セクハラ=犯罪」という認識を持った方が、男性も安心できるんじゃないだろうか?
相手が女性だったら逃げ切ることも可能かもしれないが、加害者が自分よりガタイが大きく、力も強い相手だったら・・・??

また、最近報道されたような、「相手が複数」だったら??

そういった事を考えても、いつまでも自分が「加害=強い」立場にいることが出来ると思い込んで、逆差別だ、なんてことを言わない方が、ひいては男性の安全にもつながると私は考えている。

 

      
4.ホモソなグループ内でのNearly equalなセクハラ/パワハラを自認出来る
万引きや盗撮などの犯罪(特に未成年)で出て来るのが「ホモソ=ホモソーシャルな関係内での力関係から生まれるパワハラである。
ホモソーシャルは、「単一の性」の「集まり」と思ってもらえると分かりやすいかもしれないが、同性同士の仲間内で、「万引きして来いよ」などと、はじめは度胸試しのようなものから始まり、段々とそれがエスカレートする現象がある。
昨今の盗撮被害の中には、「あの女子のスカートの中、撮ってこい」というようなものもあるらしい。(スマホがあれば、いくらでも盗撮は可能だからな)
ホモソなグループから離脱するのは、例えば学校、例えば職場、そういうグループから離脱すると、「いじめられるのではないか」、「職場で不利益を被るのではないか」、「評価を下げるのではないか」という恐怖があると思う。
そう考えると、「嫌なことをさせられるかもしれない(万引き、盗撮、痴漢等)」、と、「不利な目に会うのではないか(いじめ、暴力、降格、減収等)」の二つのシーソーがあるわけである。

 

男性で、そのシーソーの真ん中に立って、グラグラと不安定な状況になっている人にとって、「これはおかしい」と自分自身で言う事ができるのは大きなことなのではないかと思う。
そして、これが「単一の性のグループで被っているセクハラ/パワハラ」なのであれば、それも言いやすい環境になる方がいいだろう。

この場合、「ホモソーシャル」は「単一の性」なので、男同士のグループでも、女同士のグループでも、LGBTQの中での「単一の性自認」でも「ホモソーシャルなグループ」は存在し得る。

ただの仲良しグループが、いつしか犯罪に向かっていくこともある。

死刑判決を受けるような「殺人ほう助」に、こういったホモソの力関係が影響して、「自分の意図ではなかったが、結果的にはやってしまった」という場合も存在している。

 

 

ハラスメントは、女性が受けるものではない。
女性へのハラスメントを止めることも大事。そして、男性へのハラスメントを止めるのも大事。LGBTQ当事者のハラスメントを止めるのも大事。

何故なら、それは誰でも、なんのきっかけで「被害者」になったり、「加害者」になったりするものだからだ。


違うだろうか??