氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

言語鎖国中 日本

ネットニュースの中の、所謂「論説」のようなところにJICAの技術協力の話が出ていた。
かつて日系企業に勤めていた時に、JICAやNEDOなども絡むような仕事をしたこともあったし、私は残念ながら現地には行くことが出来なかったが、社内の日本人スタッフが現地(特にアフリカや中東、アジアのかなり到達が難しいところ)に行く時にはこういった国際機関の人にお会いして、色々情報交換していた。
私の上司等がお世話になった方が日本に一時帰国されたりした時は、一緒にご挨拶したりもした。
男性も女性もいらして、私の印象としては、どちらにしても非常に「柔軟」な方々が多かった。
名刺を見ると結構な肩書がついていたりするのに、すごくあたりが柔らかく、威張り散らすこともなく、ニコニコと色んな事を教えてくれ、現地で揃えられるもの、手に入らないものや、送ってはいけないもの等、非常に勉強になった。


私が会った方々はほぼ全員、数か国語(日・英・仏+何か)で話すことが出来、20代前半だった私は「ほえーーー」と、きっとキラキラした目で話を聞いていた。
正直、民間企業にいる人達よりも本当にキラキラしていて、私には憧れだった。
勿論そういったところで働いている「全員」がそうだ、とは思わないが、そういう人達に出会うことが出来た私はラッキーだったのだろう。


ご飯などをご一緒する機会があったりもして、仕事からちょっと離れたお話なども聞かせてもらったが、当時から聞いていて、私が「30年経ってもあまり変わってないな」と思うのが、海外から日本に学びに来たり、働きに来たりする人達への日本側の受け入れ態勢だ。


私自身はもう20年くらい、ずっと外資系企業を転々としているので、会社自体が色んな国の人が集まっていたところもあったし、日本人だけの小規模な日本法人だが、上司は他国にいる、というような環境が続いている。
しかし、本国から来日した上司やエンジニア、営業と一緒に顧客のところに行ったりすると、やはり最初にネックになるのが語学の壁だ。
私は別に海外生まれでもないし、留学もしてないし、帰国子女でもないので、「完全にペラペラ」というわけではないのだが、それでも必死こいて通訳することになる。


客先に英語が話せる人がいると非常に助かるのだが、なかなかそういう人はいない。
大手企業でも、英語、または他の言語を話せる人は、日本にいるのではなく、海外の支社等に行っている方がやはり多いのだろうか、としみじみ思う。
官公庁でさえそうなのだから困ったものだ。


また、明らかに「外見からして日本人ではない」人なら、日本語を話していなくても客先も何も言わないが、一見日本人に見える、日系アメリカ人、日系ブラジル人、韓国人、中国人等だと、客先が何故か「この人は日本語が話せないのか!」とお怒りになることもある。
そういう時は説明するのだが、何故かそれで「分かった」とならないことが多い。
当然のように彼らに日本語オンリーで話をし、日本語の資料を読め、と要求されることもあったので、突然電話で呼び出されて東京から関西まで新幹線で駆け付けたこともあった。
あれはほぼ、嫌がらせだったのだと思う。


ちょっと前に炎上した岸田首相の「リスキリング」
あれが「産休・育休中」に求められる前提なら、私はそれは正しくない(出産、育児だけでも大変だろうに、そこに「何か学んで戻れ」というプレッシャーが加わると、育休明け退職が増えるだけではないか)と思うが、日常の中でなら、大仰な「リスキリング」でなくとも、ちょこちょこと語学を学んだりするのは大いに推奨されていいと思う。
特に、英語をはじめとする語学。
中学・高校と6年間は英語をやっていたハズなのだから、そこから「話せるように」する、もしくは何か媒体を使ってスムーズに「使える」ようにするのは、もう少し努力すればいけるのだ。


自殺未遂の外国人を、スマホの翻訳機能で助けた女子高生のように、パッと「使える」ように出来れば、それでもいい。
助けた女子高生は、その人が話す言語がポルトガル語なのか、フランス語なのか、ドイツ語なのか、英語なのか、中国語なのか・・・という情報は当然事前に持っていなかったが、スマホの翻訳アプリという「媒体」を使って人命を救った。
聞き取ったり、話したりはやっぱり出来ない、となっても、今は殆どの人がスマホは持っている。
翻訳アプリも、別に特殊なものをインストールしなくても、Google翻訳もあるのだからそこがパッと開けるようになっていればいい。


「あ!外国人だ!!」
と、目を合わせないようにスタスタ逃げる、ではなく、普通にしていて、声をかけられたり、困っていそうだったら立ち止まればいい。
最近は日本に旅行、または仕事に来る人が、スマホの画面を見せて来ることも増えた。


日本人だって、海外に行った時はいろんなものに頼るわけだし、困ったらなんとかかんとか、苦心して助けを求めるのだから、やっぱり逃げちゃいけないと思う


大仰に「何か資格を」とか、「難易度の高い資格を持って」と考えると、スパンも長くなるのでなかなか難しい。
でも、ちょこっとちょこっと、少しずつでもいいから、洋画を字幕で見る、とか、副音声があるテレビ番組は副音声(ドラマなら、英語、韓国語、中国語、色々ある)で見てみるとか、スマホで「こんな簡単な検索方法がある!」のようなものを見かけたら、
それを使ってみる。
そんなことを生活に組み込んでいけば、この「言語鎖国中:日本」が変わっていくかもしれない。


それを沢山の人が繰り返していけば、海外の人が日本で起業して、新たな販路を見出したり、新たなビジネスを作れるかもしれない。
ビジネスなどだけではなく、友達が増えるかもしれないし、恋人が出来るかもしれない。
「消極的」「ネガティブ思考」「表情が乏しい」「何を考えているか分からない」と言われる日本人も、変わっていけるかもしれない。


というか、海外の人が来れば来るほど、田舎などは「外人さんがこんなに来るようになったのだから、都市部から来た日本人を差別してる場合じゃないな」となるかもしれない。
都市部のせかせかした生活に疲れた人が、田舎からテレワークという、コロナ禍で出来そうで出来なかったことが可能になるかもしれない。


そう考えると、まだ日本人もやれることは沢山あるな、と思ったりもする。

私自身は、日本語、英語、ちょこっと中国語、ちょこっとドイツ語、なので、中国語を伸ばすか、ドイツ語を伸ばすか、それとも大学在学中に短期間習って、タイムオーバーで完全に挫折したアラビア語を再度始めるか、考え中だ。中国語は、最近コンビニの店員さんが中国人の方が増えてきたので、たまにレジが空いている時間帯に買い物に行ったりした時、わざとちょっと中国語を使ってみたりしている。「話せるの!?」と最初は驚かれたが、「ずーーーっと前に勉強したけど、数はまだ数えられるww」などとおしゃべりをしている。切手などを買いに行ったりすることがあるので、先に忘れた単語部分を調べて行って、レジで「この言い方で合ってる?」など、教えてもらったり。

 

語学は、生活を楽しむためのツールでもある、と私は昔から思っている。旅行中に、チマっとした東洋人の子供(私は背が低いので、白髪が出て来る前まで、ほぼ子供に見られていた)が突然現地の言葉で「コーラ、1本」を頑張って言ったりすると、そこから話がつながったりする。「これはなんていうか知ってるか?」とオレンジのファンタを出されたりして、「ファンタ・ナランハ!」と正解したら無料でもらったこともある。

マイレージが失効しそうになって、1人でフラっと香港に行った時にカフェでコーヒーを飲みながらボーっとしていたら、黒人のでっかい男の人がコーヒーとデニッシュのようなものを買ってきたのに、デニッシュを一口食べて思いっきりしかめっ面をしたので、「味が変でした?」と話しかけたら、そこから盛り上がって最終的にはWhatsAppの宛先を交換し、いまだにたまに連絡が来る。転職したよ、とか、Happy Christmasとか。(ツーショットの写真を撮らなかったのが残念だが、一見ドウェイン・ジョンソンみたいなごっつい人なのだ。でも話してみたら、すごく面白いナイスガイだったのでメッセージのやり取りをしていても、楽しい。コロナ禍真っ最中にお子さんが生まれたのだが、赤ちゃんようのスタイを自分の首に乗っけて、赤ちゃんを持ち上げてニッコリのツーショで、可愛すぎて大笑いした)

 

自分が旅行している時でも、日本でも、こうして幅を広げていくことは可能だ。

 

最初の話に戻るが、JICAやNEDOの人達がキラキラしていたのは、既にそれを知っていて、仕事でも、生活でも楽しむことを見つけていたからではないだろうか。

そして、私は今、少しでもキラキラしていられているかな、キラキラしていたらいいな、と思うのだ。