氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

図書館司書、待遇がひどすぎる

「非正規職員」
非正規社員

こう聞いて、パッと思い浮かぶのは企業内の派遣社員さん達だったり、もしくは様々な店舗にいるパートさん達ではないだろうか。
アルバイト、は学生がするものというイメージがある。

調べてみると、パートとアルバイトには法律上は明確な違いはない。
双方とも、企業の直接雇用だし、時間給、もしくは日給での就業となる。


違ってくるのは派遣で、こちらは派遣社員は派遣会社と契約を結び(給与は派遣会社から)、業務指示は派遣先企業から、という事になる。
たまに、「派遣だからと言ってなんでもさせられる」という声も聞くが、派遣会社と企業との契約の時には、かなり細かいところまで業務内容を定めるので、「それは業務範囲外です」と言っていい。
言ってしまうと契約を切られるかも、と思って言い出せない場合は、その日はやり過ごし、派遣会社に「契約外の仕事をするように言われているので、調整に入ってくれないか」と頼むことが出来る。
交渉するのは派遣会社になるので、幾分か気が楽になるだろう。

 

私は派遣社員として働いた事もあるし、人事として派遣社員を雇った事もあるが、その両方の立場からすると、「契約外の仕事をすることで自分が成長できる」とか、「経験が身に着く」のであれば、契約外でもやってしまっていいと思う。(大きい声では言えないが)
一度でも業務として従事したことがあるものは、後からじゃあその資格を取っちゃおう!と思った時でも、全く知らないよりは頭に入りやすいので、それで残業がすごく多くなって目立ってしまう、等がなかったら経験させてもらってしまうのもいいだろう。
そこは、個々人の考え方次第だが、応募できる「即戦力」分野を広げられる(しかもお金ももらえる)のはラッキーでもある。


だが今、私が書きたいのは「図書館員」の非正規職員の問題だ
図書館で働いている人の中には、資格がなくても働ける事務職もあるが、基本的には「図書館司書」という資格を持っている人だ。
4年制大学在学中に必要講座を履修するか、講習を修了することで司書資格を取ることが出来るが、資格職であるにも関わらず、全国公立図書館で働く職員の7割以上が非正規職員というから、驚きだ。
そしてその月給は、約13万程度。
低すぎる・・・。


ここで、「だって司書って、カウンターの中に座って貸出手続きしてたり、返却された本を戻してるだけじゃん」と思った人もいるかもしれない。
確かにそういった貸出なども業務だが、司書が実力を発揮するのは、例えば検索などでも見つけられない、「なんか、こんな感じのタイトルの本だった気がするけど、正式名称が分からない」とか、「こういうことを調べたいのだけど、どうすればいいか」のような時だ。
探している本が開架部分にあれば、運が良ければ自力で見つかるかもしれないが、図書館の蔵書は全て開架部分にあるのではない。
希少本であったり、利用頻度が低いものなどは閉架部分にある。
しかしタイトルが分からない、となると、図書館にある端末からでも見つけられない、となってしまう。

そこで司書の出番となるわけだ。
今までも、「司書さん、すごい!!!」となってバズった「図書館司書の脳内リファレンス」は様々ある。


・誤「失われた20年」 → 正「危機の二十年」
・誤「100万回生き返ったねこ」 → 正「100万回生きたねこ
・誤「日本人が最初に餓死する」 → 正「世界で最初に飢えるのは日本」
・誤「老人の品格」 → 正「老いの品格」
・誤「梟のいる森」 → 正「月夜の森の梟」


などなどなど・・・・

また、こういったタイトル間違いや、「子供の頃に読んだ本で、タイトルは分からないけど内容はこんな感じで・・・」といったものも、司書の方々は探し出してくれる。

 

ドローンの事を知りたい人が、「バルーンのことが載ってる本」を紹介してほしいと言ってくるとか、著者の名前をハッキリ憶えていないとか、ナントカの最新刊が出ているのか(しかしナントカが間違っている)とか・・・。

こういった面白い、司書の方が「よっしゃ、探してやるぜ!」となるもの以外にも、私も卒論を書いていた時に「この宗教を、こういった切り口で調べているものはないか」とか、「当時の地図が載っていそうな本はないか」など、大学の司書の方々には本当にお世話になった。
自分の大学にない場合でも、他大が所有していたら取り寄せて貸し出してもらえる場合もある。
(持ち出し禁止の場合は、紹介状のようなものを出してもらって、その大学の図書館内で閲覧することが出来る)


と、研究者にとっても、司書の方々のプロフェッショナルな「脳内リファレンス」は非常に重要だし、また、楽しむために読書をするだけでも、「そういえば、あの本もう一度読みたいな・・・」となった時に助かる存在なのだ。


そんな司書の方々が、資格職にも関わらず非正規が殆どで、しかも月給13万程度・・・・
こんな状態では、公的機関にしろ、企業にしろ、研究機関や大学にしろ、「新しい技術」や、「今までの技術の見直し」、「どこかに見落としていた点はないか」等、そういった部分が進んでいかなくなって当たり前とも言えるだろう。


「自分で探せばいいじゃないか」と思う人は、一度、誰かにヒントだけもらった本を探し出してみる、というゲームをやってもらいたい。
本は、どんどん新しいものが出ているし、古いからと言って捨てていいものでもない。
電子化するにしても、その保存や分類は図書館法に従って決められているものを使っていないと、アットランダムになってしまって誰もたどり着けなくなってしまう。
法則が必要なのだ。
そして、その法則を学んで、理解している人たちが司書なんだ。


司書や学芸員、また教員も、全て「国の知力」を下支えしてくれている人達だ。
国の知力が落ちれば、開発力も落ち、一人一人の知識や識字、全てが落ちていく。

 

こういうところに「コストパフォーマンス」や「効率化」主義を持ってくると、どうなるか。
各企業が正社員から派遣社員へと、非正規へ非正規へと「人への投資」を行わないでいたらどうなったか。それを「失われた30年」と呼んで、少子化だ、民度が下がった、治安が悪くなった、GDPが下がった、国に希望を持っている人が減ってしまった、と言っているのではないか?
男は仕事で大変なのに、家事育児まで求められて不幸だ、いや女の方が逃げられないし、低賃金だから不幸だ、いやいや結婚出来てるだけマシじゃないか、いやいやいや、お前ら好き勝手遊べるだろ、ゲームも出来ないんだぞ、と不幸自慢、不幸選手権になっている状態。

それなのに、ここからさらに「国の知力」まで下げようと言うのだろうか。
愚かだ、としか言いようがないと、私は感じている。
そして、こういった事を決めている、とか、協議している、として出る写真はおじいちゃんばかり。
男性ばかりですらない。おじいちゃんばかり。

・・・おじいちゃん達は、おばあちゃん(連れ合い)に家事をしてもらって、世の中がもっと落ちる前に死ねるものね。
クロムウェルのように、いつか墓が暴かれて30年近く死後さらし首となる人が出てきてもおかしくない世の中に、わざわざしている政治家が多いような気がする。
デモやボイコットをしない日本人。しかし、一旦ひっくり返そうと思ったら、すごい事になりそうな気がしてならない。