氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

「皆婚」は、出来たじゃなくて「させられた」社会だよ。

ここ数日、どうもバイオリズムが安定していないようで、あれこれと考えてしまう。
こういう時にはXなどは見ない方がいいのは分かっているが、頭が動かないのでボーっと見てしまったりする。
そうすると、目に飛び込んでくる、棘ばかりのつぶやき。

 

偶然なのか、何かきっかけがあったのか分からないが、特に目に入ってくるのが「皆婚」だ。

 

落ち着いている時の自分なら、無理に決まってんじゃんの一言で終わるのだが、何故かその言葉が頭に残って仕方がない。
なので、吐き出しついでに書いてみようと思う。

 


まず私は、男性がこの「皆婚」という言葉を使う時に、下記のような事を期待しているんじゃないかな、と感じている。

1.自分が望んだ時に、いつでも性交できる
2.子供を持てるが、自分は何もしなくていい。
3.家事育児をやれとも言われないので、家では文句を言われずに好きな事だけしてればいい。
4.近所付き合いや親戚付き合い等、もろもろの面倒くさい事は妻に丸投げ出来る。(自分の親含め)
5.お小遣い制だが、足りなくなったら余分にもらうのは当然
6.家計が厳しくなったら、妻に「パートに出ろ」と命令できる
7.しかし、妻がパートに出ても、「家のことはちゃんとやれ。俺に迷惑をかけるな」と言えるので、自分から見たらノーダメージで家の総収入が増える。
8.好きな時に飲みに行ったり遊びに行ったりできる
9.自分の親の介護は妻に押し付けることが出来る。
10.自分が年を取った時は、息子の妻か、自分の娘に介護をさせることが出来る。
11.妻に経済力がないので、外で風俗に行こうが浮気をしようが、まぁちょこっと頭を下げれば済む。

 


こんな感じを、ぼんやり思っているのではないかなぁ。
これはほぼ、1940年~1950年に生まれた人達がやってきたことではないだろうか。
所謂団塊の世代は1947年~1949年に生まれた人達だ。

 

 

では、この「現代男性の夢?」であるはずの上記世代が、実際はどうだったのか、皆婚を叫んでいる人達は知っているのだろうか?
私は、知っている。実の両親の世代だからだ。
両親、両親の知り合いの家庭、またその上(祖父母の家庭)、そして団塊Jr.である自分。「皆婚が正解」と言っている人達は、その裏は見えているのだろうか?

 

1.自分が望んだ時に、いつでも性交できる。
  → まぁ出来るかもしれないが、皆婚論者が思っているような美人とは出来ないだろう。かつて「皆婚」だったのは、恋愛結婚以外の人は「ほぼ断れずに」お見合いを持ちかけて来るままに結婚していたからなので、自分も相手も、双方「選ぶ」事は出来ない。
    加えて、二人目の子供が生まれた辺りで「母親は子供部屋で寝る」になることが多いから、実質ほぼ出来なくなっていたのではないだろうか。

 


2.子供を持てるが、自分は何もしなくていい。
  → 代わりに、妻が子供を養育出来る環境を整えるのは夫側に偏る。しかも会社内チキンレースが始まっているので、「一軒家」を購入する事になる。(通勤時間片道1時間半とかで)

    そのためには、昇級試験に合格する、抜擢されるように社内パフォーマンスをする、仕事と並行して会社に貢献できるような技術を開発する、等のハードルをクリアしていかないといけない。
    そして何よりも「残業、接待を拒まない」のと、「転勤を拒まない」のがポイントになる。(世帯丸ごと転勤出来るか、それとも単身赴任になるかは子供の年齢次第)

 


3.家事育児をやれとも言われないので、家では文句を言われずに好きな事だけしてればいい。
  → 子供が小学校高学年にもなってくると、父親が帰ってくると子供は自室に戻り、妻は台所で明日のお弁当作りなどを始める。
    つまりは、「家の中でポツン」
    犬や猫がいれば・・・!と思っていても、普段残業ばかりでいない人に、動物はあまり懐かない。

 


4.近所付き合いや親戚付き合い等、もろもろの面倒くさい事は妻に丸投げ出来る。(自分の親含め)
  → 近所付き合いはともかく、自分の両親(妻から見た舅姑)、自分側の親族から、母親がどんな扱いを受けるかを見て育った子供の中には、父方の親族を毛嫌いするようになる子が一定数いる
    親に逆らえない中学生くらいまでは一緒に父方の家に行くこともあるだろうが、高校生になった辺りから、予備校に~とか、友達と遊びに行く、等の理由をうまく考え出して父方には行かない、というケースも多々ある)

 


5.お小遣い制だが、足りなくなったら余分にもらうのは当然。
  → 夫側がどれくらいの稼ぎがあるかで変わってくるが、子供が大きくなってくると、「それ、おかしくない?」と気付き始める。父親が好き勝手にお金を使っている「ため」、自分が予備校に行けなくなったんだ、ということも見え始めるので、「父親」という存在が子供から見て完全にATMになる。
   「男はATM、にしてるのは男性自身」

 


6.家計が厳しくなったら、妻に「パートに出ろ」と命令できる。
  → 命令しなくとも実は父が知らないだけでちょこちょこと働いているケースもある。正式命令が出る前から、ちょこちょこと稼ぎ始めている母親を子供は案外、見ている。

 


7.しかし、妻がパートに出ても、「家のことはちゃんとやれ。俺に迷惑をかけるな」と言えるので、自分から見たらノーダメージで家の総収入が増える。
  → 父親は残業か接待でいないので、この辺から家事に関しては子供が代わりに出来るものは手伝うようになる。
    そのため、難しい料理以外は何となく出来るようになっていくので、一家の中で父親の家事能力が一番低いというのが確定する

 


8.好きな時に飲みに行ったり遊びに行ったりできる。
  → その間に、妻と子供、の方が「一つの家庭」としてのつながりが強固になる。

 


9.自分の親の介護は妻に押し付けることが出来る。
  → 大体、その頃には子供もかなり成長しているので、父親の親の介護を、妻と子供で行う事になる。妻も疲弊するが、子供も勿論疲弊する。誰も口には出さないが、「早く終わればいいのに」と思っている状態なのを、父親だけが気付いていない。(帰宅したらビール飲んでテレビ見て寝てるだけだから)

 


10.自分が年を取った時は、息子の妻か、自分の娘に介護をさせることが出来る。
   → まず、その時の妻の状態で変わっていくが、息子の妻、という選択肢しかない時には資金さえ工面出来れば施設行き。
    娘が独身だったら、3パーセントくらいはやってくれる可能性もあるが、どちらかというと妻が娘には関わらせないようにする。

    妻から夫へ、積年の恨みとして「介護という名の体罰が始まる可能性が出て来るのがこのあたり。

 


11.妻に経済力がないので、外で風俗に行こうが浮気をしようが、まぁちょこっと頭を下げれば済む。
   → そう思っていたら、あっけなく子供が妻だけ引き取って、「おとーさんは勝手にすればいいじゃん」で捨てるケースも増えてきている。

 


こう見ていくと分かるかと思うが、
1.双方別に好きでもなければ、条件が合致した相手を結婚していたわけではない。
2.家父長制的に「俺が大黒柱!」のムーヴは世間から男性に押し付けられるのだが、そこから逃げることは出来ない。
3.女性も、家事育児から逃げることは出来ない。
4.転換期に重要になってくるのが、子供がどちらの味方になるか、という点になる。
5.妻側は家事育児、そして後からパートに出たりと世界を広げて、また手段も増やせるが、夫側はそれが難しい。

 

 

さて、ここで私は問いたいことがある。
威張りたいけど甘えたい、頑張りたくないけど褒められたい。
それを聞き入れてもらえないから、暴力に出る。

・・・それでいいの?

 


今の時代、鬱々とした日本にいなければいけないという事でもない。
海外に移住することも出来るし、日本にいながら「日本人ではない」夫を持つことも、妻を持つことも出来る。
別に戦争にならなくても、民族浄化、のようなことが起きなくても、女性が「日本人との」子供を持たないだけで、20年後、30年後には様相は全く変わっていくだろう。

 


私は、誰にも奴隷になってほしくないし、自分もなりたくない。
何故か奴隷になりたい人もいるようだが、それは個人が選んだ事なので私が物申す事ではないだろう。
誰しもが意思を持った「人間」である。
こちらから好んで武器を持って立ち上がるつもりはないが、有事になった時に、より小さきもの、つまりは子供、子供を連れた母親達、これから母親になる人、その人達を守る必要があるのなら、守りたい。何としても。
それで自分が罪をかぶることになっても。

 

父親は?と思った人はいるかもしれない。
不要だ。
既に、ミトコンドリアDNAによって母方は祖先までずっと遡れる。その中に、「かつて日本人と呼ばれし遺伝子」が残っていれば、それでいいじゃないだろうか。


だから私は、女性を守る。