氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

教師が足りず、教育が足りなくなる日本の未来

学校教員の数が減って、小中高と大変なことになっているようだ。
少子化なのに何故教員不足なのだろう、と思ったが(教員というブラック労働環境、精神疾患での離職)などは知っていたが、地域差はあるにせよ、全体で5.8%の学校で教員が足りていないらしい。(2022年文部科学省調査)


中でも特別支援学級を受け持つ教員の不足率は高い。13.1%となっている。
通常学級が一クラス40人(35人定員に変更したようだが)に対し、正担任1人(副担任1人)のところ、特別支援学級には8人に一人となっているようなので、これは人数は足りなくなるだろうな、という印象だ。


私は親の転勤で小学校をいくつか転校することになったが、私の頃はどこに行っても一クラス・・・45人とかいたような気がする。
もっとかもしれない。
そしてクラスは7組~10組くらいあったのではないだろうか。
記憶は定かではないが。
当時は転勤族の子供も多かったので、春休み明けの新学期始め、夏休み明け、など、結構転校生がいたので各クラスに散らばって編入されるという感じだった。
かすかーな記憶で、一回だけ、一つのクラスに私ともう一人、つまり転校生2名が入ったことがあったような気がするが、あれは何だったんだろう。


小さな教室にぎゅうぎゅう詰め、学校単位で入りきらなければ校庭にプレハブ教室が作られる。
副担任という制度はあったのかもしれないが、覚えていないということは正担任が何かしらの事情で休んだ時等に副担が出てきていただけで、正式に紹介などはしてなかったのかもしれない。
当然、一人でそれだけの人数を見ていると教師の目が行き届くこともなく、いじめは多かったし、教師が気に入らない生徒は教師からもいじめられたし、体罰もバリバリあった。
私は教師からのいじめはあったが、わいせつはなかった。
しかし「〇〇先生のお気に入りはあの子だ」のような話は毎年のように聞こえていたし、確かに「お気に入りの児童」の前に立って授業する先生もいたので、陰ではわいせつ事件もあったのだろう。

 

そんな私が子供だった頃は、「教育現場」に親が介入する、というのは「最後通告」状態でしか出来なかったのだと思う。実際、私がいじめにあっていた時、母は私に「転校しようか」とは言ったが、先に学校に怒鳴り込むことはなかった。そして私は、「転校しない」と自分で決め、小学校5、6年の2年間の地獄を自分で選択した。

 


しかし今は、生徒の人数が減り、そうなると教師と生徒、また教師と保護者も「アイコンタクト」も可能になるし、連絡する、というのも心理的障壁は低くなっているだろう。
そうなると保護者から学校への連絡、また多くて大変になっているというクレームも、すぐに出来るようになっているだろう。
特に携帯電話があるから、家から電話をする、留守電機能もない、という時代からすると、連絡は簡単につくようになっただろう。

 

また、当時は障がい者(身体的・精神的共に)も私の記憶では、通常学級に在籍していたように思う。
私がいたクラスで、今思うと、水頭症か何かを患っていた男の子が同じクラスだった記憶がある。
美術の授業で(あ、確か小学校だから図画工作かな)、隣の席同士で相手のスケッチをする、という時に彼と組みになって、そのまま描いてしまっていいのかどうか、一瞬悩んだけれど、そのまま描いた記憶がある。
その時の気持ちをなんと表現していいか分からないが、「どうせ描くなら真剣に描こう」と思って、かなり写実的に描いて、結果としてその子は私の描いた絵をわざわざ「ほしい」と言ってきて、あげた記憶が残っている。
(別に交換する感じじゃなかったと思う。少なくとも私はその子から私を描いたスケッチはもらっていなかった)
確か、彼は体育は見学していた気がするが、他の授業はそのまま出ていた・・・と思う。

 

彼は身体的なものだけだったと思うが、記憶では廊下から奇声が聞こえてきた事もあったし、また住所が(今思えば)普通に宗教団体の仮宿舎のようなところだったり、施設だった子もいたと思う。
今になって思い出すと、だが。
(小学校を転々とした場合、卒業した学校以外はアルバムとかもないから、もう手掛かりはないんだよね。写真とかもないし)


当時がそういう状態(人数が多すぎるが故のカオス)だったとしても、現在の学校は違うだろう。
さすがに友達のお子さんの授業参観に行くわけではないので、小学校などの中を見る機会があるのは、選挙の時くらいだ。(小学校が会場になっているから)


モンスターペアレンツの増加、双方向で連絡が取りやすくなってしまっているが故の問題、部活動の問題。
そんなことから教師が体調を崩したり、メンタルを病んだりするのはたやすく想像できる。


また、教員免許更新制度が一時あったことによって、免許はく奪となった人がいたことも問題だったようだが、これは何だかおかしいような気がする。
医師や弁護士等、やはり免許、資格があって初めて仕事に就くことが出来る職は沢山あるが、教員免許だけが「取った時のまま」教員の知識や情報のアップデートがされないままだったというのはやはり問題だったと思うし、現在はこの「更新制」は廃止と
なったが、何だか「人手が足りないから・・・」という事のような気がしてならない。
浪人・留年なしの4年制大学で教員免許を取得したとして、22歳。そこから60歳まで40年間、制度の変更や知識のアップデートなしで勤められてしまう、というのは問題だと思う。
更新せずにはく奪となってしまった人がいたため人手不足、だから更新制度なくしました・・・・いや、車だって免許の更新時には「最新の」道交法とか、一応ビデオだけでも講習はあるのだが、人に対して教育を行う者がそれでいいのだろうか。

 


もう一つは、我々からは見えなくなっているが、かつて「〇〇先生が産休に入りましたので、これからは私がその間、担当します」と言う感じで来ていた「非常勤」教員、「非常勤」講師の数が減っている、また非常勤を回してもらうように采配してもらう
システムが確立されておらず、アナログでやっているという問題もあるようだ。
ここは、デジタル化と、管理+調整する事務の質の向上でクリアできそうな気もするのだが・・・。


このように人手が足りなくなっている「学校の先生」だが、最近では公立学校の教員に免許がなくても応募できるように制度が変わったらしい。


しかし、だ。
どうしても気になってしまうのが、「民間の人に手伝ってもらおう」「部活は地域のボランティアで」となった時に、まだ日本ではDBSのようなシステムが構築されていないことだ。
DBSは、イギリスで真っ先に導入されたシステムで「Disclosure and Barring Service」の頭文字を取っている。
直訳すると「情報開示とサービスの禁止」となるが、つまりは一度でも性犯罪を犯した者は、このDBSシステムに登録され、子供に関する職種(教員、学校作業員、ベビーシッターなどなど)に就業しようとする時には、「このシステムに登録されていない」=
「性犯罪の履歴がない」という証明書を持って行かないといけない。「無実の証明」ともいえるか。
また、高齢者施設や障碍者施設等に就労しようとした時も、この提示を求められることがある。


DBSはわいせつ犯、特に小児わいせつ(ペドフェリア)に関しては「完治はほぼ無理」と言われている面から、「そもそもそういう人を現場に入れないように」という対策から生まれていて、犯罪の機会を減らし、そこから被害者も減らす、という試みとしては非常にいいシステムだと私は思っているが、残念ながら日本は他の制度が邪魔をしていて、この導入に踏み切れていない。


DBSの導入なしで、「教員の数が足りないから、色んな人の手を借りて」と広げてしまうのは、私は非常に危ないのではないかとも感じている。
痴漢は何十年経っても存在しているし、昨今の性犯罪では、「お前もか!!!」と言いたくなる職種の人が捕まっている。
校医が検診の時に盗撮をし、普通に賃貸に暮らしていると思ったら、天井に穴を開けられていてずっと観察+盗撮されている、電車に乗れば痴漢を警戒し、タクシーに乗ったら運転手に警戒しないといけない。
手術中、麻酔がかかっている状態で触りたい放題されていた、なんて、何故こんなことになっているのだろうか。
日本人、「わいせつ」に関してハードルが低くなりすぎてないか!?


教師の仕事があまりにも多すぎ、また、365日24時間労働のような状態になっている限り、教師は減っていくだろう。
そしてハッキリ言ってしまって、「教師に向いていない人」や「小児わいせつ犯」が潜り込める状態にしていくごとに、被害に遭って不登校になる子供が増えたり、それを理解してくれない家族に咎められ、家を出てしまう子供も出てきてしまうかもしれない。
1950年代前後のアメリカのように、「Missing」が増えて行き、悲惨な事件に巻き込まれる。
それが少子化最前線の日本で起こった場合、「日本」という国はどこに行くのだろうか??


私には、「誰かが責任逃れをし続けた結果、誰も望んでいない方向に進んでいって戻れなくなっている」日本、というようにしか見えなくなっているのだが、違うだろうか?
いや、多分違ってほしいのだと思う。
だって、このままでは明るい未来は多分来ないと思うから。