氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

氷河期世代を放置したツケの、日本の安全神話没落

少子化の勢い止まらず」
・・・一体いつから言ってるんだい、と既に「おなじみ」感まで出てきたこのフレーズ。
そりゃあ止まらんだろうさ、第二次ベビーブームであった「氷河期世代」「ロスジェネ世代」が家族を持てる環境にならなかったら、人口ボリューム的に先細りしかない。(人口分布を見ても、この世代が第三次ベビーブームを作れていればここまで深刻な少子化にはなっていなかったと想像できる。)

 

加えて、最近の「子供」に対する風当たりの強さ。
つい最近も、長野県で「たった一人の老人クレーマー」が18年間クレームを入れ続けたことで、公園が廃止されることになったニュースが出回ったばかりだ。
しかもこのクレーマーが、大学名誉教授(名誉教授って、大抵はただ単にその大学を定年退官した、ってだけなんだよな。逆に紫綬褒章もらっているような名誉教授がこういう事をした、というのは記憶にはない。探してみるかな)だというのだから、どの口が少子化は問題、と言っているのかと。


数少ない子供たちの権利を奪うのなら、自分の年金をもらわない(下の世代を大事にしない代わりに、自分も大事にしなくていいよって立場表明みたいなもんだな)としていたら、まだ「そこまでするならば」とも思うが、日本の年金制度的に「上の世代を下の世代が支えて」の繰り返しになっているのだから、下の世代からの恩恵は当然のように受け取って、でも自分が下の世代に配慮はしない、という事なのだろうな。

 

どうやら某国立大学の名誉教授らしいので、今までさぞかし高給取りだったことだろう。
18年間もクレーム言い続けるのなら、家売って、静かなところに引っ越せばいいのに。引っ越し出来なければ、自宅の窓を全部防音にするって手もある。

などと考えてしまった。


子育てには、そういう風当たりの強さにあるし、既に少子化の問題がごっちゃごちゃに絡まった毛糸玉になってしまっているのも一因だろう。
待機児童を減らそうとしたり、長時間労働を規制してみたり、非正規の処遇改善しようとしたり、男性育休を義務化したりしても、もうここまで問題が絡まった毛糸玉になった状態では、とにかく問題をほぐしていって、一つ一つ解決していくしかないだろう。
それが終わるまでに、日本という国が残っていれば、だが。


少子化は本当に大きな問題だ。ひいては国防にも関わる問題であるし、国力にも関わる。
長期スパンでも見ても、短期スパンで見ても、「何としても解決せねば」なのだが、「一体どうすればいいのか」と思考硬直してしまう問題ともなっている。

 


しかしその前に、私は個人的に「超短期スパン」で個々人に影響があるものがもう一つあると思っている。


それは、「治安」だ。


この「少子化」がクローズアップされていき、「今現在、子供を授かれる年代の人達」への支援取り組み案が出てきて、各種優遇措置などが取られた時に、一つの時代が「またか」と、今まで熾火のように燻っていた怒りを爆発させていく可能性がある。
そう、私をも含む、「氷河期世代」「ロスジェネ世代」だ。

 

氷河期世代も、頭では分かっている。
特に女性の場合、自分がこれから子供を授かることはもう生物的に難しいということも、子供を育てる財力も体力も、余裕もないことも分かっている。
(男性の精子の劣化は、言われ始めてまだ日が浅いので、「俺はまだいけるかも」と思っている人もいるかもしれないのも恐怖だが。精子も劣化しますよ。不妊の原因は、男女半々と今は言われています)


だからこそ、自分たちを礎に、下の世代には出来る限り補助してあげて、私たちが出来なかった「次世代を作る」という事をしてもらわなければいけない、それはそれで、下の世代にプレッシャーをかけることであり、ある意味可哀想な部分もあるから、だからこそその縁の下の力持ちにならないといけない、ということも「理性」では分かっている。

しかし、「感情」は別だ。


自分たちは「自己責任」「運も才能のうち」と切り捨てられ、きっと長生きすることも出来ず、下手したら餓死するケースもあり得ると覚悟はしている。
自分自身でも気づかぬうちに、周りから言われる「自己責任」という言葉で自分を押し殺して、我慢してきた。
色々な事を諦めた。捨てた。
キャリアの夢も諦め、収入も諦め、家族も諦め、しかも「親不孝」と言われ、親世代の人生のモデルケースと比較され、貶められ、でも言い返せず、卑屈になっていると「ああいう性格だからまともに就職出来なかったんだよ」と言われ、だからこそ顔をあげて
武士は食わねど高楊枝、をやっていると「生意気だ、虚勢を張っている」と言われ、一体どうすれば満足ですか・・・・というところまで来ている自分たち。

 

救済は遅すぎ、既に人生50年、下天の内をくらぶれば・・・・の折り返し地点に立っている自分。
希望はない。
そして、その「希望のなさ」をも押し殺して、少ないお金で楽しめることを見つけ、ほそぼそと「幸福度」を上げようとしている自分・・・


その時、下の世代は「まだ産める」と、あれこれと支援が話し合われていくのを見ていると、押し殺してきた「感情」が、どんどんどす黒くなっていく。

だから、私が危惧しているのが「治安」なのだ。

 


今まで、氷河期世代が無意識にやっていたのが「サイレント・テロ」だった。
サイレント・テロとは、「買わない(買えない)」「産まない(産めない)」「働かない(採用されない)」だ。
実家から出ることも叶わずに、こどおじ・こどおば化したり、実家を出ていても、無意識にミニマリストになったり(お金ないからな)、働こうと思って、頑張って正規になってもブラック企業、非正規で使い捨て。
意識的なテロというよりは、「そうなっちゃった」「そうならざるを得なかった」というテロだ。

しかし、それだけでも日本社会に「急激な少子高齢化」をもたらし、「経済の停滞」を生み出し、8050問題などの大きな影響を与える結果になった。

 

ただでさえ人口が多かったせいで、「無意識のサイレント・テロ」でもここまで効果を発揮してしまっていたのに、それが、「実際のテロリズムに変わっていく気配がどんどん強くなってきている。


<殺人等の性質の変化>

  阿部元首相暗殺/ 1980年生
  京アニ放火殺人事件/ 1978年生
  小田急線無差別殺人事件/ 1985年生
  秋葉原無差別殺傷事件/ 1982年生
  ・・・等など。
 

ここで注意したいのが、安倍元首相の暗殺以外のものは、いわゆる「無差別大量殺傷/殺人」であることだ。
自分は狙われたりしない、と言い切れる「個人」への犯罪ではない。
世代のアンラッキーを「自己責任」と言われてきた鬱屈を晴らすかのように、「そこを歩いていた、そこに乗車していた自己責任」とでも言いたいようなやり方だと感じる。

 

<強盗や窃盗>

総務省警察庁からのデータで、失業(無職)と強盗の出現率の統計から計算すると、現在40代の出現係数だけが突出している。
その前後、30代はかなり減るが、50代も係数的には高い係数を持っている。
氷河期世代が非正規・度重なる転職・引きこもりにより貯蓄することも出来ず、「今日のパン代を稼ぐ」状態のまま、20代~50代までの30年間を生きてきたことを考えると、「しばらくのパン」のために強盗をしたり、雇い止めで糊口をしのぐことが出来ず、犯行に至るというのは簡単に想像できる。
しかも、「〇億円事件」というようなものではなく、「1万円」「5千円」のためにでも犯行に及ぶ、というところが今までの日本の治安を考えると、性質が異なる。
ひったくりとも違って、本当に「食べるために」強盗、窃盗を行うため、「自分はそんな現金持ち歩かないし」と思っている人の、その財布の中の5千円札が狙われる、という事だ。

 

  刈谷市内の無人食品販売店から、冷凍食品等を盗んだとして逮捕/ 1972年生
  名古屋市内で万引きをし、駆け付けた店長の顔を蹴ったとして事後強盗犯として逮捕/ 1977年生


<拉致・監禁>
  さいたま市ネットカフェ立てこもり事件/ 1980年生


<わいせつ>
  10代男子へのわいせつ(触る・盗撮)/ 1982年生 元中学校講師
  不特定多数の者に下半身を露出し、わいせつ行為をしたとして逮捕/ 1970年生
  強制わいせつ致傷/ 1980年生 消防士
  相鉄線車内での痴漢行為(強制わいせつ)/ 1980年生
  路上で女性の上半身を触る(強制わいせつ)/ 1976年生 無職
  京浜東北線車内で痴漢行為(強制わいせつ)/ 1974年生 


ちょっと調べてみただけでも、これだけゾロゾロと出て来る。
無差別大量殺人が一番怖いが、強盗・窃盗でも拉致監禁でも、性犯罪でもなんでも怖い。
しかも供述内容によく出て来るフレーズが、「先を悲観してやった」「極刑になりたかった」、のようなものから、「ムラムラしたから」や「これくらいいいだろう」とか、「男子はわいせつにならないと思った」とか、そういう刹那的なものが多い。
「〇〇に対して、こういう恨みがあった」とかではないのだ。


身の安全を図る、ということでは、「恨みを買わないようにしよう」とか、「多額の現金は持ち歩かないようにしよう」とか、「最近痴漢が多いから、デニムにしておこう」とか、防御することが出来るものがあるが、「そこを通ったのが私だった」、「電車内で加害者の前に知らずに立っていたから」とか、「この道を歩いたから」となると、なかなか防ぎようがない。

こうなると出来るのは、「今日も無事に家に帰れますように」と祈ることくらいしかできないではないか。
(自宅の施錠などは別として。施錠はしっかりしようね)

 

犯罪の「質」と、「内容」、そして「動機」が変わってきていると思うのは、私だけだろうか?
「夜道を女性一人で歩いていても大丈夫な国」と言われてきた日本・・・・・どこに行った???

敢えて、今回抜粋した事件は犯人の年齢等から、氷河期世代だと分かったものをサクッと抜粋してみただけだが、それでもこれだけある。それだけ、我々氷河期世代の心は乾いているのだろう。
乾ききって、お財布の中身も乏しく、スーパーで激安品(明らかに体に悪いと分かっているようなものでも)を狙って買う。
その積み重ねが、この世代の「刹那的感情」を作り上げたのではないだろうか。


自分自身が何かしてしまうことがないようにしよう、そして出来る限りの防御策は取ろう、と再確認しながらも、何だかこの世相が
すごく物悲しく、「取り残された世代」「いなかったことにされた世代」の中に自分もいるのだ、という事をひしひしと感じてしまうのです。