氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

ジャニーズの闇について

とうとう、ジャニーズの性被害が表に出た。
元ジャニーズJr.が実名顔出しで被害を訴えたことで、今まで「まことしやかな噂」だったものが、「被害事実」となった。


30年以上前から、「ジャニーズで売り出してもらうためには、ジャニー喜多川氏と関係を持たなければいけない」という噂はあった。
そうなんじゃないかなぁ、というのは、結構な人が思っていたのだと思う。
特にジャニーズのどのグループにもハマらなかった私は、引いた目で見ていたが、「これだけの人数の美少年を集めるだけでも大変だろうなぁ。しかも、売れなかったらみんな中卒とか高卒になっちゃうわけだから、売れっ子を諦めた時には第二の人生どうするんだろう」くらいにしか若い頃は思っていなかった。
(まぁ、宝塚も同じなんだけど。宝塚音楽学校を卒業して、一応併修して高卒資格を得ることも出来るけれど、あの稽古量などを考えると、中卒になってしまう人も多いだろうから)


しかし、この「日本の芸能界」「日本の男性アイドル」を大量生産してきたジャニーズ事務所の性犯罪をすっぱ抜いたのがBBCだ、というのは、いかに日本が隠蔽体質なのか、を表してしまった事件だと思う。
まことしやかな噂、ほぼ確定じゃね?で広まっていた事であっても、そこに食いついたら、テレビ局は「じゃあもう出さない」となって視聴率が取れない(ならNHKが頑張ればよかったよーな)、週刊誌も「うちのを記事に出すな」となったら発行部数は伸びない。
そこで「大人の理論」として、少年達の苦痛は「なかったこと」になり続けたのだろう。

また、BBCから始まったこの告発が、「日本外国特派員協会で会見があったというのも重大視しないといけないと思う。
元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏の会見の背景で、「どっかで見たことあるな」と思った方がいたら鋭い。
この日本外国特派員協会での会見、最近では元自衛官で性被害を実名・顔出しで訴えた五ノ井里奈氏の会見が行われたところでもあるのだ。


私はかなり昔にこの日本外国特派員協会の会見場に行った事がある。本当に多国籍の会場なのだが、日本人も勿論入れる。
ジャーナリストでなくても、同伴者、ということで入ることは可能だ。
では、オカモト氏にしろ五ノ井氏にしろ、何故「日本記者クラブの会見場を使わなかったのか?と思う人もいるかと思う。
これは、日本記者クラブでの会見だと、「忖度」がまかり通ってしまって、会見をした意味がなくなってしまうからだ、と言われている。
ジャニーズの闇がこれまで表に出てこなかったものなど、まさにこの「忖度」がアリアリだったのだろう。
テレビ局、新聞、雑誌、芸能ジャーナリスト。ジャニーズに睨まれたら食い扶持を失うほど影響が大きかったので、忖度発動!となってのではないだろうか。

 

しかし日本外国特派員協会は違う。
ザ・ガラパゴス日本の忖度は関係なく、会見をし、意見を、事実をいう事が出来る。
それを聞く側も、忖度なく記事にしたり、それを追いかけることにしたりすることが出来る。
なので「ジャニーズ」「自衛隊」など、忖度が大いに発動しそうな場合には会見の場を日本外国特派員協会にする人が出てきたのだろう。


オカモト氏の会見が日本外国特派員協会で行われたのも、こういった経緯があったのではないだろうか。
勿論、最初に取り上げたのがBBCだった、という事もあるだろうが。


ジャニーズ出身の人達が本当に全員、被害者なのかどうかはまだ分からない。
特に、本当に性被害を乗り越えた人たちが名声を手に入れ、売れたのかどうなのかはまだ分からない状態だが、最初はおそらく戸惑って声をあげていなかったファン達も声を上げ始めた。
こうなっては、ジャニーズ側もちゃんとした回答をしないといけなくなるだろう。
遅くはなってしまったが、#Me too運動がジャニーズにも到達したという事だ。


そしてファンの中で、様々な葛藤を乗り越えてジャニーズ事務所に対して、検証・実態調査そして事実であれば謝罪、また適切な支援を、と立ち上がる人が出てきた。
「PENLIGHT ジャニーズ事務所の性加害を明らかにする会」
として、活動を始めている。
会の名前にペンライト(PENLIGHT)が入っているのは、「暗闇にいる人たちに光があたるように」という意味と公には言われているが、それから、彼ら、彼女らが自分の推しのライブに行った時に必ず振っていた「ペンライト」の意味もあるのだろう。
推しであるジャニーズのライブで、応援のために振っていたペンライト。
その推しが、もしかしたらかつては性被害者であり、今は乗り越えたのか、それとも心の奥底に隠すことにしたのか、それは本人にしか分からないが、その「かつて幼かった頃に受けた傷」をも含めて応援するから、ペンライトを振り続ける、ということなのか。


私は、男性もどんどん性被害の告発をしていいと思う。
性被害、セクハラ、パワハラアカハラ、などなど。
こういったものは「加害者は男性が多い」と思われそうだが、そういう暗黙の共通認識のようなものがあるから疑われたり、どうしていいか分からなかったり、居心地の悪い思いをしたりしている人も多いと思う。
満員電車での痴漢や、下着泥棒、デートドラッグを使っての性犯罪。
そんなのが蔓延しているからこそ、「それは大多数の男がやってるわけじゃない」と示すためにも、男性の被害者も声を上げたり、または痴漢を目撃したら率先して止めたり、知っている人が「こんなの手に入れちゃった」と、デートドラッグを見せてきたら、「お前、それはマジでダメだぞ。犯罪だぞ」と止めたり。


被害者が男性であれ女性であれ、成人であれ子供であれ老人であれ、全ては「やってはいけない」事なのだ。
そして、男性が被害者であっても「男のくせに」と言わない人がいる、ということは、この「PENLIGHTの会」が切り口を示していると思う。


「男だから」と口を閉ざす必要なんてないのだ。
今、目指している社会は「夢物語かもしれないけれど、性別や生まれ、職業に関わらず皆が幸せに人生を選択できる社会」のはずだ。(結果ではなく、選択。そこから先は、誰しもが努力だったり運だったりで変わってきてしまうのは仕方がないから)
女性が虐げられているという見方もある。
しかし、だからといって男性の全員が恵まれているわけではない。
女は、「女だからって男に従属するわけじゃない」と声を上げている。
だから男も、「男だからって性犯罪を犯す加害者ばかりではない」と声を上げていい、むしろ、声を上げなければいけないだろう。

それこそが「共生」社会のとっかかりなのではないだろうか。