氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

知ることは、楽しいこと

先週、ネットニュースで見た記事でひっくり返りそうになった。
「ご遠慮ください」「お控えください」の意味を誤解していた・・・という告白に、ビックリされた方が投稿した、というビックリな記事に私もビックリした。


「ご遠慮ください」も、「お控えください」も、両方とも「しないでね」という意味だが、遠慮しつつちょっとならOK、控えめにやればOK、という解釈も出来るのか・・・・と、むしろこちらが目から鱗
その記事の流れには、「義務教育で習ってない!!」というものもあったが、では今50代の大台に乗った私はどこでこの言葉を知ったのか。
私は大卒だが、高校・大学でこういった事を習った記憶はない。

とすると、日常の大人の会話を横で聞いていて覚えたのか、本を読んで覚えたのか、もしくは「飲食はご遠慮ください」と書いているような場所で、親に「これなんて意味?」のように聞いて覚えたのか・・・・
ハッキリとした記憶はないが、そんなところじゃないかと思う。


この勘違いを、「本を読まなくなったからだ」とか、「ネットやゲームばかりしているからだ」とか、「受験勉強ばかりしていても意味がないのが分かる」と切り捨ててしまうのは簡単だし、そういう側面も確かにあるとは思う。

でも、ちょっと視点を変えると、例えば私は図書館を利用する派だが、非常に多ジャンルの本を借りるため、開架式の図書館だと本当にグルグルと歩き回ることになる。
若い人たちも図書館にはいるが(特に休みのシーズンなど)、本を読むため、というよりは勉強をしに来ているのだな、というのが分かる。
図書館で勉強すれば集中できるし(冷暖房もあるし)、分からないことがあったら図書館内でその答えが載っている本を探せばいい。
見つからなければ、司書の方に聞くと、丁寧に教えてくれる。
絶好の勉強場所だろう。

しかし、あくまでも「私が見た印象」だが、「宿題、課題とは関係ない本を借りていく」若い人が減ったな、という印象は拭えない。
今はKindleもあるし、電子図書もある。
わざわざ図書館に足を運ばなくても、読みたい本を探してダウンロードして読むことが出来る。
「じゃあ読書量は関係ないじゃないか」と思われるかもしれないが、ネットで「これが読みたい」とピンポイントで電子図書を購入して読むのと、開架式図書館で本を探して読む違いに、「偶然出会って、面白そうだと思って借りた本」の存在があると思う。


例えば、歴史系の本を探していても、それが法律に関する事で、ないなぁ、と思って歩き回っていたら法律系の棚にあったりする。
そしてその時に、探している間に「全く興味がなかったけど、妙に惹かれた」という事で読んだ本、というのは新たな世界の窓口になったと私は思っているし、そういうめぐり逢いから、新たに言葉を知ることは多かった。
コペルニクスについて調べたいことがあってフラフラと探していたら、一緒にアレシボ天文台の本を借りて帰ったこともある。
(後で、X-ファイルアレシボ天文台が出てきた時は思わず狂喜乱舞してしまった。修理できず、閉鎖となったのは残念な限りだ・・・)


そのように、「自分が興味のあること」を調べるのにはネットは便利だが、「思わぬ面白い事」「興味を惹かれること」に出会うのは、開架式図書館の方が確率が高い気がする。
ネットで生活が便利になった面も非常に大きいが、反面、「入手する情報」に偏りがありすぎるようにもなった気がする
今回の、「ご遠慮いたします」「お控えください」の解釈違いも、そういった「この情報は興味がない」の先にあった必然なのかもしれない。


そしてもう一つ、私がこの「婉曲表現」や「現代と違う言い回し」、「暗黙の了解ルールのある言葉」が通じなくなってきた原因かも、と思うものに、テレビの放送内容がある。
記憶している限り、私が子供の時に親がつけていて見たテレビでは、例えば大河ドラマや時代劇、映画で「??」となる台詞がよくあった。
その時に「どういう意味?」と聞いたり、後になってから「こういう意味だったのか」とかで気づいたのは、それが「古い言葉」での台詞回しだったからだ。

 

黄金の日日石川五右衛門刑死の会、根津甚八のセリフで
「手前、そもそもは石川五右衛門とて、滋賀の片里に住みなしおる者でございます。幼き頃より無用の武芸をたしなみ、闇みの夜のちまたに出でて、往来の人を脅かし、あとは欲心起こりて勢田の橋に出でて水を飲み、盗跖長範に勝り、国に盗人の司となり、近在所々に入りて夜ごと寝耳を驚かす盗賊とは相なりました。」
というものがある。
当時私は小学校に上がるか上がらないかという頃、当然この台詞は分からない。
ただ、もっと前から落語を聞いたり、平仮名を覚えた頃にはお正月に百人一首でカルタ取りをしていた事もあって、何となくの雰囲気は分かった。なので、大人になってから「やっぱり五右衛門刑死シーンは、根津甚八が一番だな」と思って見直した時に、あー、完全に古い言い回しだったんだなーと思ったものだ。


しかし、最近の大河では、「古っぽくあるが、現代語にかなり近い」台詞が使われている。
例えば昨年の大河、「鎌倉殿の13人」では、
「生きていたからこそ、今私はここにいる。政子殿と知り合う事もできた。生き長らえて良かったと、これほど深く感じた事はないぞ」
や、
「戦は男がするもの。我らは、その先のことでも考えていましょう」
などというセリフが使われている。
これは、格式張って言っただけの現代語だ。


「分かりやすくなかったら見てもらえない=視聴率が取れない」

 

そうだろうか?
大ヒット漫画となった「ゴールデンカムイ」、これは登場人物の台詞の中に「アイヌ語」「薩摩弁」などがふんだんに盛り込まれている。
大体の台詞は現代語ではあるが、これを読む前に「カムイ」くらいは知っている人はいただろうが、「ヒンナ」「チタタプ」「オハウ」などの言葉を知っている人がいただろうか???
しかし、読んだことがある人が、例えば誰かが料理でみじん切りをしながら「チタタプ♪」と言っていたら、「お!!!」となるだろう。
そこから、「〇〇ニシパ~~」と、その場に居合わせた男性に言って、その場が一気に「ゴールデンカムイの宴」になる可能性は大だ。
(しかも大笑いしながら)


また、同じくゴールデンカムイには薩摩弁を話すキャラが出て来るのだが、薩摩弁と言えば、「あまりにも分からないので戦時中の暗号に使われた」事でも有名な方言の一つだ。
YouTubeなどでも、「薩摩弁」で検索すると、ローカルTVのニュースなどで「これは分からん!!!」「字幕が必要」「要通訳」のような動画も多々出て来る。


しかし、この薩摩弁をほぼそのまま使った大河がある。1990年の翔ぶが如くだ。
司馬遼太郎原作の作品だが、ナレーションから登場人物の台詞など、鹿児島弁、薩摩弁、土佐弁、長州弁と、出身地によって本当に全ての方言を使用した。(一部字幕が入った)
これが分かりやすいだろうか?実際、分かりにくかった!!!!でも、めちゃくちゃ内容が面白かったので、当時ほぼ大河を見なくなっていた私も外出していなければしっかり見た記憶がある。
今でも、「西郷隆盛を演じた役者で、誰が一番ハマっていたか」と聞かれると、私は西田敏行一択だ。

 

こんなに分かりにくい薩摩弁だが、最近別のところでバズった。
それが「薩摩ホグワーツ。爆笑
ハリーポッターのゲーム発売とほぼ同時に、一人の人がツイートした内容からどんどん設定が追加されていき、ネットミームとなっている。
薩摩藩独特の言葉、生き方(死に方)、風習などをハリーポッターの世界観にうまく絡めて、どんどんと広がっている。
この広まり方を見ていると、非常に「分かりにくい」事で有名な「薩摩」を、かなり多くの人が理解していると感じられる。
そして、その知識を使って上手に遊んでいるのだ。
内容を読んでいると、「ぶはははは」と吹き出してしまうほど、うまく作られているミーム。J.Kローリングに頼んで、公式二次創作として出してもらいたいほどだ。


つまりは、「テレビは分かりやすい事に重点を置きすぎて、視聴者をバカにしてないか?」「産まれた頃からそういった分かりやすい番組ばかりが流されている環境にいた若者が、テレビが面白くなくて見なくなるのはある意味当然だし、そのために語彙が偏ったり興味が偏ったりした可能性は?」という事を私は考えている。


時代劇でも現代の言葉が使われ、内容と衣装だけが「一応歴史監修OK」のようになる。
同じ作品であっても、演じる人、脚本、見せ方、撮影方法などで名作から駄作まで作ることは可能だ。赤穂浪士の討ち入りを考えると、同じ討ち入りであっても様々な描かれ方をしていて、「私はこの作品が好き」のように好みが分かれる。
(そういえば、最近は何故か放送されなくなったよな・・・)


しかし他作品との差別化をする自信がないのか、キャストが揃わないのか、「前に描かれた人は止めておこう。他のいい武将はいないか」のようなテーマの作品ばかりが安売りされているようになっていないだろうか?
そしてそれは、視聴者をバカにしてないか?
「分かりにくい内容だから・・・」なんてことから、台詞を現代風にしてみたりしていった挙句、「いやこれ、時代劇じゃないでしょ」「それなら普通に他の映画見るよ。韓流ドラマの方が面白いよ」と、視聴者は離れていく。


その結果として、テレビ局が「視聴者を子供のように扱う番組」ばかり作ってきた影響が、「ご遠慮下さい」「お控え下さい」の解釈間違い、というような流れになっていなかっただろうか???(勿論、全てがテレビのせいではないが)


テレビがあれば誰しもが見れるテレビ番組。
それが視聴者はバカだから、簡単に分かりやすくしないとね、をやっていると新しく興味を惹かれて自分の中の新天地を開拓したり、「こういう言い回しがあるんだ」という事を知ったり、という「機会」がなくなっていく。
そうするとある意味当然、「どれを見ても同じ」、「俳優が違うだけ」、「出演者が違うだけ」になってしまう。
結果は、「どれ見ても同じだから、他の見ようっと」で、テレビから離れていく。
それと共に、日本文化からも離れていくわけだ。


そもそも、人は言葉で遊ぶのが好きなんだと私は思っている。それは、日本に限らず、様々な国で。
そして日本人もまた、言葉遊びが非常に好きだ。
言葉遊びに加えて、今は「オタク」と言われるものでも、「マニア」と言われていた時代には立派な趣味としてあったわけだ。
鉄オタ、歴女、車オタ、パソオタ、プラモオタ、料理オタ・・・・・
「オタク」とついてしまうと何だかくらーく、怪しげに「ひひひ・・・」と言いながら楽しんでいるような日陰な印象もあるが、それはただの「マニア」で、それぞれが好きなものを突き詰めていく、一種の好事家だ。堂々としていていいのだ。(犯罪でなければ)


失われた30年の間に教育も変遷があったので、その人が受けた教育、環境によって世代の違いもあるだろう。
今回のこの「ご遠慮ください」も、その中で生まれた解釈の間違いなのかもしれない。
しかし、そもそものこの投稿をした人はちゃんと理解したわけだ。
まだ、遅くない。視聴者をバカにしたような番組ばかり作ってないで、本気で面白いものを作ってみろよ、と私はテレビ局に言いたい。
そして、何かで自分が知らなかったものに興味を持った人は、気後れせずに「こういうの知ってる人、教えてーー」と、どこかで発信してほしい。
SNSという便利なものがあるのだし、知らない事は恥ではないのだから。