氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

森喜朗氏、相変わらずですなぁ

いやー、ここまで来たらもう、笑わせに来てます?森喜朗さん。
小渕優子氏のパーティで言ったのが、

「今、女性の時代というか女性でさえあればいいので、経済界も30パーセントを女性役員にしろとか色々言われている。最近テレビを見ていると、討論会だとか座談会だとかいうのは本当に半分以上、女性になった。あんなに女性がよくしゃべるんだなぁと思った。私はそれをちょっと言ったばっかりに怒られた。やはり控えめというのは大事なんですが、この控えめと言うことがよくなかった。」

という内容。
もう、笑いしか出てこないよう。
あの、五輪前の炎上から、なーーーーーーーーーーーーーーんにも考えが変わってないというか、なーーーーーーーーんにも気付かないで幸せに生きてきてしまってるんだねぇ。


森喜朗。85歳。
1937年生まれ。(昭和12年
1937年といえば、盧溝橋事件。スペイン内戦(フランコ将軍ですな)、永井荷風が「墨東奇譚」の連載を開始、スペインでゲルニカ空襲、
ヒンデンブルク号爆発事件、パリ万博・・・・

自分が「歴史の教科書」に出る時代の人間だ、って意識はないんだろうなぁ。
しかもアップデートされていない。
もしかして、脳内はまだ第二大戦前かしら???
だとしたら、女性に参政権がある事も「いやーすごいですなぁ」なのかな。(女性参政権は昭和21年から)


しかし、怖いなぁと思うのは、実際森氏の考えとほぼ変わらない考え方を「現在の」人達でも踏襲している人がいるという事だ。

日本は女尊男卑だ、女ばかり優遇されている、男はつらい、女よりもよっぽどつらい、女だってだけでチヤホヤされるんだから人生イージーじゃね?とか。
少子化の原因は女性にある」という人は結構いるし、YouTubeチャンネルでも一生懸命それを切々を説いている人もいる。(自分では「俺、すごい頭いいから分かるんだけどさ」って感じで言っているのが既にホラーな気がするが)Twitterでは、もっとはっきりと「女が悪い」「女はバカだ」「女のせいだ」と吠えている人達が多く生息している。

そういう人達は、この森氏の発言を聞いたら、「さすが言ってくれました!」というのだろうか?


偶然、昨夜も本社と深夜にテレカンしていたのだが、参加者の一人が遅れていたので、待っている時間におしゃべりをしていた。
その時に、「日本の国会の映像をニュースで見たんだけど、女性も黒っぽいスーツを着てるの?」と聞かれ、「いや、殆ど男だから。女性議員でも確かに黒っぽいスーツを着る人もいるけど、明るい色のスーツの人もいるよ」という話になった。
それから、全員揃ったので普通に仕事のテレカンをして、夜も遅かったので終わってから私はもうお風呂に入って寝ましょう~~~だったのだが、朝起きて、メッセージを見たら「日本って、なんでこんなに女性議員がいないの!?」ってメッセージが入っていて笑ってしまった。
なんでって聞かれても、「家事育児介護を全部やりながら政治家になろうって人も少ないし、当選しても何か一つ失言したら引きずり降ろされるし。クオータ制もないから、結果的にはずっと男ばっかりだよ」という返事しかできそうにない。
(まだ返事打ってない)
何か、もっといいお返事はないだろうか。アイデア求む。


日本の男女比の問題等の原因はこれだ!という、「ただ一つ、これ」というものはないと思う。
家事育児介護というケアワークの比重、企業自体の文化風土、政策決定の場にそもそも女性がいない事、家父長制、クォータ制などによる女性登用を「女に下駄を履かせる」と考える文化、高度成長期のモデルから脱却出来ていない事、それでもアイスランドのように、「なら一切のケアワークを止める!」とボイコットしたという革命のような運動が起こらない、現状を変えようと努力してみたが諦めてしまった、等など、様々なものがあると思う。
声をあげた女性が、四方八方からボコボコにされるのを見て、黙ることに決めた人もいるだろう。
丁度、世界でジェンダー平等の運動が巻き起こっていた時、日本が「失われた30年」だったことも関係するとは思う。
日本という国の中で、圧倒的に「正規職」が少なく、苛烈な競争が起こっていたために、その中で「でも、女性の席も用意しないとね」という流れにはならなかったのだろう。


また、案外これも大きかったんだろうなあと思うのは、まさに森氏のように、「本来なら政界から完全に引退するか、或いは鬼籍に入ったであろう人達」がまだまだ残っていたり、世襲として結果的に息子が、孫がと「同じ血族」が席に陣取り、下手をすると表舞台にいる世襲は操り人形で、戦前からまだ生きている人が裏で動かしている、何てことも関係するのかもしれない。


世界の他の国では、男、女、LGBTQ、幼児、子供、若い人、子育て中世代、退職世代、老年世代、そしてそれに加えて様々な人種、そんな人達が様々な声を上げている。
それは、身長や体重、様々な言語、様々な身体的特徴、様々な性別で違っている特徴、それぞれがそれぞれに「こういうものがあると便利」や、「こういうものはいらない」、等、それぞれの要求を口に出し、その意見が通ったり通らなかったり、見逃されたり、経済的理由で後回しになったり、でも意外なところでとある民族の風習が突破口になったりと、日々変化していっている。
その中にはいいものもあれば、悪いものもあるだろう。

 

しかし例えば、車。ガソリン車やEV車に限らず、あの安全性を試す衝突試験が「成人男性の人形」でしか行われていなかったことから、「これ、もしかして同じ仕様だと、女性や子供、幼児は守られていないのでは」とメーカーが気付いて、実験してみたところ、妊婦(つまりは下腹部が大きく、またそこを守る方法が取られていなかった)に甚大な被害を与える状態だったことが分かった、という事がある。
そしてそこを考慮して改良が図られた。
そのメーカーは、ボルボ
衝突事故の際、そもそも女性がむちうちになるケースが多かったことに気づいたボルボ。座席の位置の調整だけでは守られないものがあるという事に気づいたことで、「安全性のボルボ」のイメージを更に上げられたのだ。


また、都市自体も「成人男性」(しかも、白人成人男性の平均から最適サイズを作ったところもある)を「通常」として作られているため、日本だと、例えば階段が子供には高すぎるとか、段差に車椅子やベビーカーが引っかかるとか、そういうトラブルも起きている。そしてそれまでは「自分にはちょうどいい」と思っていた男性が、年を取ってから足腰が弱ってきて階段で躓く、などを重ねて、「住みにくかったんだ」と初めて気付いた、と言うような指摘も上がるようになってきた。


エレベーターのボタンの位置や、火災用非常ボタンの高さ。
海外のエアラインに乗った人の中には、「エコノミーなのにわりと広いな」と思ったことがある人もいると思う。特にルフトハンザやKLMオランダ航空で私は感じた。
逆に、機内のトイレに行った時に便座が高くて、何だか変な感じだった。


一つ一つは小さい事かもしれない。
しかし、他国はその様々な視点で経済戦略を練り、商品を作り、サービスを生み出している。
一方日本は、相も変わらず「成人男性」一点だ。男ばかりが集まってあーだこーだと言っても、新しい商品も、サービスも、また新しい政策も出てこないのは至極当然に思える。
そして、「女はバカだ」「女の下駄を履かすな」と言っている男性は、自分が履いている(ずーーーーっと、履き続けている。それこそ第二次世界大戦前から)下駄の存在はなかったことにして、「もっと男を敬え!」「もっと大事にしろ!!」と言っている。


そしてその結果、日本が飲み込まれるのは、アメリカか、中国か・・・?
どちらの国も、女性がはっきりと物を言う国。
男性陣が選ぶことだものね。頑張ってくれい。あ、どちらの国も、「財力・知力・腕力」のどれかがない男性は絶対に大事になんてしてもらえませんけどね。