氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

対義語がない「良妻賢母」

先日から、女には「良妻賢母」とか、「賢婦」とかの言葉があるが、対義語だったり、それに近い男の言葉が思いつかず、なーーーんとなくモヤモヤしていた。
そんな今日、X(笑)で「亭主関白」という言葉を提示してもらって、成程!!!となった。
そうか、確かにそれなら結構ストンと来る。


パパっと調べた感じでも、「良妻賢母」の男性バージョンがない・・・という事が引っかかった、という人はいるようだ。
対義語にはならないけれど、候補として拾ってみると、
・愛妻家
・子煩悩

くらいしか出てこない。
熟語以外で考えてみても、出てこない。

 

ちなみに、たまに「良夫賢父」も上がるが、これは造語としては作られているが全く普及していないし、こじつけて作り出した言葉のようだ。
確かに、聞いたこともないし、スマホでもPCでも漢字変換されないので「流通してない言葉」だと思う。


「良妻賢母」という言葉自体が、明治時代に生み出された言葉で、封建制社会存続のための子女の役割として使われだした言葉だ。
おそらく中国の「賢妻良母」から派生したのだろう。
(意味がひっくり返っているが。中国ではまず「賢い妻」から始まっているが、日本では「良い妻」になっており、より儒教的になっている)

 

しかしこの明治期、男性に課されていた役割は何だったのだろうとちょっと調べてみても、ハッキリとは出てこない。
明治以前から続いている「家業」や、地域産業に従事している、という事なのだが、面白い事に、家業も地域産業も「男女」両方が従事している。

 

その中での分業はあるが(人力の時代なので、最も力の必要な部分は男、それ以外は女、と言うような感じ。炭鉱で掘削しているのが男、それを運び出したり仕分けしたりしていたのが女、のように)、しかし「主婦」という概念はない。


ではこの明治期、どこで「良妻賢母」が出て来たかというと、明治32年(1899年)の高等女学校令からのようだ。
つまりは就学の機会がなかった女性にも進学の機会を与えるために、「良妻賢母」という看板のもと、「家事」「裁縫」のような科目も受講させることで、当時西欧で吹き荒れ始めた婦人解放運動の流れの中に徐々に参加していったのだろう。


江戸時代の寺子屋は男女問わず通えており、上流階層の女性はもっと教育を受けていたが、江戸~明治への明治維新の混乱の後、戸籍制度が細かくなり、大正時代には「家制度」「戸主」と確立していったことで、「子女」の様々な権利が奪われていく。
その中に「教育」もあったわけだが、科目に「裁縫」などを入れることによって、子女の教育の機会がゼロにならないように抗っていた、というのが明治~大正~第二大戦前、となるのではないだろうか。

 


1860年代から、西欧では婦人解放運動が始まっていた。
幕末動乱を乗り越えた人々の中には、率先して西欧に留学する風潮が出来てきていた。
岩倉具視大久保利通伊藤博文木戸孝允高杉晋作福沢諭吉渋沢栄一、そしてそんな中に、下田歌子がいて、大山捨松がいて、津田梅子がいて、杉本鉞子がいた
明治~大正~昭和初期の頃、海を渡った女性達が帰国して作られた女学校は多い。(現在は女子大として残っている)
もしくは、海を渡ったまま、彼の地で結婚した人達もいる。
有名どころでは、クーデンホーフ光子や、モルガンお雪だろう。


近代日本を作っていった政治家も軒並み留学しているし、文豪も留学している。
なので彼らは、ひしひしと西欧から忍び寄ってくる「女性への人権」問題を感じ取っていたのではあるまいか。

 

ただ、既に戸籍法は定められ、日本での「女性の人権」はぶっちゃけ、江戸時代よりも後ずさってしまった状態。
じりじりと、「良妻賢母」の看板を掲げることで目くらましにしながら子女への教育の機会を増やし、そして留学した女性陣が女学校を創立していく。
このままじりじりと日本での女性の人権復興を、と思っていたらそこでぶち当たったのが第二次世界大戦だ。


第一次世界大戦時も、第二次世界大戦時も、日本に限らずどこの国でも戦地に行った男の代わりに、女が働いて国を守った。
農業をし、工場でも働いた。
子供を育て、老人の介護をし、傷病兵の看護をし、また戦地に看護婦として向かう者もいれば、戦地で、もしくは空襲で、上陸作戦でと命を散らせた人達もいた。
そして男たちが戦地から帰ってきて、復興が始まる。
徐々に日常が戻ってきて、高度成長期と呼ばれる時代に入った昭和。


日本という国が成長したのはよかったと思うが、残念なのはそこに「家制度」の残滓や「戸籍法」の残滓が残ってしまい、また高度成長(可能な限り全員が毎日長く働いてほしい)を成し遂げたい、ということと、「女は家事育児」というモデルケースがマッチしてしまった事なのだろう。
そしてマッチしてしまったところに、戦前、明治から「女性の人権復興」の隠れ蓑として使われていた「良妻賢母」がこれまたパズルのピースのようにハマってしまった事が残念ニッポンの根なのではないだろうか。


そしてこの流れから、女には「良妻賢母」という偽りの旗が被せられたが、男は・・・・?
男に被せられた旗は、もしかしたら「企業戦士」なのかもしれないし、企業=国の発展のために今度は命を削れ、とする代わりに、「亭主関白」というキレイに見える旗も持たせて、プライドを維持させたのではないだろうか。

 

だからこそ、「良妻賢母」と対になる言葉はないのだ。


私は、「良妻賢母ではなく、女は賢婦たれ」という学校で学んだせいもあるのかもしれないが、良妻賢母という言葉は好きではない。
そして実際、離婚してからシングルでいるので、「妻」でも「母」でもない。(猫の母ではあるかもしれないが)
ただ、「賢婦」でありたいという気持ちは、大学を出て30年近く経った今でも心の片隅にある。


今、男性達が苦しめられている檻は、かつて「亭主関白」というキレイな旗に隠されていた「企業戦士」なのだろう。
だから、「亭主」になれずに「企業戦士」をすることを求められると、苦しくなる。

 

それだったら、男女問わず、もう「良妻賢母」も「企業戦士」も旗を降ろして、「賢く」生きていけばいいのではないだろうか。
個々人の得意分野を生かして、毎日生活していけばいい。
幸せになったもの勝ち、なのだし、幸せの尺度は自分で決めればいいのだから。