氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

3連休、台風かい・・・

週末は3連休だーとウキウキしていたら、台風7号が直撃かも・・・!!な進路になっていて、軽くショックを受けている。
出かけるにしても、新盆の準備に実家に行くのと、母方の菩提寺にも詣でて・・・と思っていたくらいなので、特に旅行がキャンセルになるとか、そういう事ではないのだが、気が重い。


というのも、私は結構気象病が出る方なので、台風などで急に低気圧になるとキツイ。
頭痛、吐き気、めまい、諸々・・・・
まるっきり動けないわけではないので、仕事の日だったら仕方なく頑張るのだが、休みの日にぶち当たると、うーん、多分寝込んじゃうだろうなあ。
3連休をボーっと過ごす羽目になるか・・・と、何だか残念な気持ちになってしまう。


実家や菩提寺に行かなかったとしても、3連休だと、例えばカーテンとベッドカバー洗って、とか、へたってきたアイロン台の内綿詰め直して、とか、気になっていたが手を付けられないでいた書類関係をまとめるとか、こまこまとやりたい事はあるのだ。
でも、台風かー。

 

台風7号、現在の気圧は994hPa。
うーん・・・・これは結構体に来そうな気がする。
古傷(手術痕)も痛む感じになったら、ニャンズとゴロゴロするしかないかもしれない。

あー、なんかもう、悔しいなぁ、これ。


沖縄・九州では台風6号がまだ居座っているし(長くないか?)、7号は関東めがけてる感じの進路だし、今年は台風の当たり年なのかもしれない。


こうして続々と生まれて来る台風の卵を探すように天気図を見ていると、親元を離れてから、「台風」というものに対する意識はやっぱり変わったなぁ、と感じる。
子供の頃はいかにも「子供」で、雪や嵐、台風等に不謹慎ではあるがちょっとワクワクしてしまっていたのが、やはり「ベランダのもの全部中にいれたよな」とか、排水管が詰まらないように、先に掃除しておこう、とか思うようになった。
こういう「外のものを中に入れよう」とか、「先に掃除をしておこう」とか、「ちょっと備蓄食料増やしておくか」とかは、テレビやネット情報でも各局が呼び掛けていたりするが、「これはやろう」と思って実際にやるのは、やっぱり母がやっていた事をなぞってやっている気がする。


私は幼少期、父の転勤先で生まれ育ったのだが(なので地縁も血縁も何もない土地)、ド田舎だったし山の中腹くらいに住んでいたので、台風の夜は、母が度々子供部屋に来て、外を見ていた後姿を覚えている。
おそらく土砂崩れなどを警戒していたのと、私達が眠れているかどうかとか、そういう確認をしていたのだと思うが、何かの時に「何見てるの?」と聞いたら、子供部屋からちょうど見える裏山と、そこから出ている湧き水を見てると教えてもらった。
湧き水はすごくきれいな水だったが(ホテイアオイとか育ててたな)、その水が濁ったら逃げないといけないんだよ、と言われて、子供心にそんな風にわかるんだ、と、眠くなるまでたまに懐中電灯で外を照らし、水を一生懸命見ていた。
ラッキーな事に、そこに住んでいる間に土砂崩れはなかったのだが、もし本当に土砂崩れが起こっていたら、おそらく逃げるのは難しかっただろうと思う。


というのも、「台風の日」や「嵐の日」等の時の父の記憶が一切ないのだ
父は出張も多かったし、もしかしたらそういう日は職場の方に行かざるを得なかったのかもしれない。
(海が関係する仕事だったので)
加えて私自身もまだ幼かったので忘れている部分もあるかもしれないが、サッパリ、そういう時に父が何をしていたか、という記憶がない。
普通の日に、父が家でこんなことをしていた、とか、こんな話をした、とかは覚えている事もあるが、「災害が起こるかも」という時に関する記憶は本当にサッパリないのだ。
だとするとおそらく、父は家にいなかったのだろうし、そうすると母一人で小学生の子供二人を、車もなしに逃げ切ることは出来なかっただろう。

 

だから、「万が一」のためにそういう「自然災害のサイン」を見逃すまいと外を見ていたのだろうな。
今考えると、土砂崩れで真っ先につぶされる位置が子供部屋だった、というのも怖いが、私達が育つにつれ、子供部屋を作り、リビングを広くし、と増改築していた家だったし、山の中腹という場所もあって、どうしてもそこにしか子供部屋を作れなかったのだろう。

 

ゴウゴウという台風の音の中、豆電球だけ点いた部屋で、母がじっと外を見ている後ろ姿は、まだ何となく覚えている。


今は私は都心住みなので土砂崩れは心配しなくていいが、「水」は結構気にしてしまう。
台風直撃!などで早めに帰宅指示が出たり、また普通に帰っていても、帰りの電車の中からなーんとなく「水」を見ていたり、駅から歩きながら、なーんとなく「いつもならない水たまり」や「水の噴き出し」がないか、など、無意識のうちに目が行っているようだ。
(気象病で頭痛の痛みを抱えながら帰宅しているので、本当に無意識だ)
それでも「水はけが悪いな」とかが頭に残るところを見ると、「なーんとなく」の危機感はしっかり刷り込まれているんだな、と思う。


こういった危機意識、事前に何を準備するか、どこを見るか、等、「親から子へ」継がれるものには不思議なものも入ってそうだと感じる。
ちなみに、気象病も母譲りだ。


防災備蓄に何を買って帰ろうかな、と考えつつ、一番思うのは、「台風こっち来んなーーー」だな。