氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

「高齢者集団自決」の目指すところは。。。

成田悠輔氏の「高齢者集団自決」発言があちこちで火の手をあげているようだが(今更、だよな)、正直なところ、私は賛成だ。

事の経緯などは、色々まとめて書いているニュースサイトもあれば、ひろゆきも配信で語ったりしているので省くが、私が何故賛成なのかを書いてみようと思う。


1.死なせてくれない国、日本
私も50歳オーバーのいい年齢だが、そうすると祖父母、親、叔父叔母等、病気になった、救急搬送された、入院した、そして死亡した、等を数々経験している。
勿論、その間にヘルプとして介護していたこともあるし、メインで介護したこともある。
その時に思ったのが、「人間って、なかなか死なせてもらえないんだな」という事だ。

 

最終的に大学病院や、それなりに大きな規模の病院での闘病になると、そこから医師と家族、告知されている場合は本人も交えてこれからどういう治療をしていくか、とか、おそらく後どれくらい生きられるのか、という話になる。
私自身がかなり幼い頃から大きな病院に通っていたのもあり、医療用語には慣れていたし、一時期医療機器関係の会社に勤めていたこともあるので、35歳過ぎくらいからは、メインで介護+病院との話し合いも私がかなりメイン、となっている。(コロナ禍の今は、介護はしていないけれど)

 

基本的に、私がそうやってメインで介護したのは母方の親族なのだが(父方は離れたところに住んでたしね)、母方は一人を除いて、「したいことが出来ないようになったら、不要な延命治療や、ベッドにいるだけが生活になる治療はいらない」という主義である。
何しろ、散骨がまだ法的に認められていなかった頃から、母は私達姉妹に「死んだら海にでもまいて。お墓はいらないから」と言い、姉妹で「それ、死体遺棄になっちゃうから勘弁して」とブラックなツッコミを入れていたくらいだ。
(その後、海洋散骨も一応法的にOKにはなった。地方自治体に確認はいるみたいだけど)

 

つまりは、尊厳死」を選ぶ、という事だ。

 

しかし、これが本人の口から言っていても(痴ほう症状とかなくても)、家族が言っても、誰が何を言ってもなかなか病院はそちらに舵を切ってくれない。
おそらくは、死後に「実は親族です」という人が現れて「そんなの聞いてなかった。医療放棄だ!!」と訴えられることを危惧してなのだろうと想像しているが(病院の経済的理由かもしれないケド・・・)、母方は割と親族が少ないので、なんなら全員の念書を出しましょうか、とまで言った事もあるが、それでも医師が躊躇して、最期、数ヶ月は本人はベッドの上、家族は担当医と話し合い、を繰り返すことになった。

 

病院の方針、また医師個人の方針、訴訟の前例などが絡まっているのだろう、「日本の病院は、とにかく生かせ続けたがる」。
それが例え、本人の意に反しても、もう嫌だ、もう嫌だと「本人」が泣いても、家族が「本人ももう自宅に帰れない事は分かっていますので、延命治療は打ち切って下さい」とハッキリ言っても、なかなか首を縦に振ってくれない。
ぼそりと「分かってはいるんですが・・・」と小声で仰った先生もいらしたので、その時は病院の方針だったのかもしれない。


それくらい、入院してしまったら、何も食べられず、チューブが刺さりっぱなしで、トイレにすら行けず(つまりは尊厳が保たれない)、それでも死ねないのだ。
(かといって、自宅で亡くなった時はうまく主治医が死亡診断書を出してくれればいいが、自宅に医師が通うシステムの主治医がいない場合は、残念ながら警察で検視を受けることになる。不審死となってしまうので、事件性の有無を確認されるのだ)

 

これが、尊厳死」も「安楽死」も認められていない日本の状況だ。

 

高齢になっても、まだまだ人生を楽しみ、家族や親しい人と有意義な時間を過ごしているような人は、それでいいと思う。
金銭的に、自分で何とかやっていければなおさらだ。
しかし、病院のベッドの上で、チューブまみれになって、トイレすら自分で行けず、半分薬剤でボーっとした時間のみを過ごすような状態は、幸せなのだろうか?

 

ちなみに、サクッと調べても、65歳以上在宅要介護者のうち、寝たきりの人は男性で1.3%、女性で1.7%。その半数以上が3年以上の寝たきり。
何故この統計が「在宅」要介護者なのかというと、まずは体調不良で病院へ。そこで手術なり投薬治療なりを行う。
その間にあっという間に筋肉が衰え、歩けなくなった状態で「病気は治りました」or「一旦落ち着きましたので」で帰宅させられる。
その後は・・・・ケアするのは家族だ。

 

高齢者本人、その家族(介護のために退職しなければいけない人が出てきたり、ヤングケアラーが頑張らなくてはいけないことに)、それ、・・・・幸せですか??

 

元気な(持病はあるだろうが、通院、投薬で何とかなっている)高齢者ならば、別に私も「集団自決」やらを言い出す必要はないと思う。
しかし、本人もハッピーではなく、家族に至っては、自宅にいる間はひたすら介護、ともすれば仕事も失う、子供も介護に参加するので部活も出来なければ、友達と遊ぶことも出来ない。
これを、幸せと呼ぶ人がいるのだろうか?

 

国が、病院が死なせてくれないのであれば、「尊厳を保てるうちに」自分でいつ頃、を決める。
それが「高齢者集団自決」の中に入るであろう、「尊厳死を認めること」だ。

 


2.定年年齢が上がり、年金支給が遅くなったことによる頭打ち
こちらは「生物としての」ではなく、いわゆる「引退」的な問題になるが、年金支給が遅くなったことによって、定年を後ろ倒しにする企業が出てきてしまい、結果、上が「引退待ち」の人達で滞留してしまう。
役職定年、という事で一定の年齢で役職からは外して一般社員に、という企業もあるが、それが可能なのは大企業くらいだろうし、日本の企業数のうち、99.7%を占める中小企業ではこの新陳代謝は発生しない。

 

そのため、中小企業の体質は古いままに残り、大企業との乖離も激しくなれば、従業員の「感覚」との乖離も激しくなる。
上層部が「自分にとっての当たり前」を貫くことで、中堅(ここがロスジェネ世代なので母数は少ないが)や若手が離職する原因の一つでもあるが、何よりも離職原因の一番は「給与がずーーーっと据え置き」という事実だろう。
(しかし税金や社会保険料は上がり続ける)

というのも、経験上、そうやって居座る中小企業の経営陣は、自分の取り分だけはしっかり確保し、ともすれば増額するからだ。なので、どんなに利益が出ても、社員には回ってこない。

 

能力のある人は起業して、となって新たに「若い世代の」中小企業を作る場合もあるが、言語の壁さえ超えれば、日本より稼げる国に出ていく人も多くなった。

 

つまりは、中小企業では高齢者が上層部に残ることで「平社員のまま」、「昇給もなく」、「手取りが減り」、「高齢者のご機嫌取りが仕事」になってしまうので、一つの会社としてもやりがいもなければ賃金も安い、という状態になる。

 

大企業は勿論、中小企業でも高齢者が居残ることで発生する悪循環を打開するには、高齢者が「引退」するしかない。
こちらが、「集団自決」に込められた、「名誉の死=引退」ではないだろうか。

 

そもそもが、私が色々見てみた限り、成田氏は「集団殺害」と言っていないし、「集団自殺」とも言わず、「集団自決」「集団切腹という言葉を使っている。
どの単語を選ぶか、ということにわりと繊細さが見える人なので、「名誉をもって引退せよ」という意味合いで言っているのではないか、とずっと私は思っているのだが。(三島由紀夫を例に出している動画もあるし)

この、自殺、自決、切腹という言葉は、同じようで意味合いが違うのだし。

 

海外ではどうも「harakiri」(腹切り)と訳されているようだが、黒沢映画などの影響から「切腹」自体を知っている人も多い。
カミカゼ」はもっと定着している。
(だからスポーツでもなんでも、日本人がすごい勢いで何かをするとカミカゼ!と言われたりする)

しかし、カミカゼを知っていても、切腹を知っていても、harakiriを知っていても、その中にある微妙な意味の違いまで理解できる人は多くはないだろう。(翻訳されると、特にそういう意味合いって分からなくなるしね)

 

と、上記のように考えてみると、彼の言いたいことは「会社からみっともなく追い出される前に、自分から勇退する方がカッコいいぞ」ということではないだろうか。
そして、私はそれに賛成だ。
「潔しとする」日本人が、実際、最近は非常にみっともないしね。(政治家がひどすぎるみっともなさだが)


他にも小さな理由はちょこちょこあるが、この2点が大きい。
そして叩いている人たちに言いたいのが、成田氏は「殺せ」とは言っていないという事。
あくまでも個人の判断で、という前提で言っているという点を見過ごしてはいけないと思う。