氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

政治家のゴールは当選じゃないだろうに

日本維新の会の馬場代表が、「24時間選挙のことを考え、実行できる女性少ない」と発言したらしい。
馬場さんは、「寝ているときとお風呂に入っているとき以外、常に選挙を考えて政治活動をしている」と語ったようだが、これ、女性で勤め人でもある私が聞くと、「家族のこと、家(家事とか修繕とか近所付き合いとか親戚付き合いとか)のこと、生活のこと、そういうことは考えていない。人に任せているから」と聞こえてしまう。
しかも、「選挙」のことを考える前に、政治家として「政治」のことを考えていないのかな?と。

 

馬場さんの論理ではおそらく、選挙に勝たなければ政治の世界の土俵に上がれないので、まずは選挙に勝つことが大事、となっているのかもしれないが、日本の政治家で「この人、何がしたいんだろう」と感じる人が多いのはそのせいではないだろうか。
本来なら、「政治のここがおかしい」「日本のここを改善したい」「こういったことは時代錯誤だ」「世界情勢から考えて、こんな弱点があるのに国会で言っている人はいないかもしれない。大丈夫なのか」など、「やりたいこと」「変えたいこと」があって、
それを実現させるために「選挙」に出る、という順番じゃないといけないんじゃないかな、と感じる。

 

この順番が逆になっているから、選挙のたびに「公約」だなんだと出していても、当選したらなかったことになっちゃった流れになるし、誰が何を目的としているのかが見えなくなっていく。
選挙がゴールになってないですか?と感じてしまうのだ。


私はアメリカの大統領選を見ているのが昔から好きなのだが、そのせいか、日本の選挙や、選挙活動を見ていて、ずっと違和感を感じていた。
大統領選の期間中、テレビ討論などがあると「政治の中身」で喧々諤々と討論が繰り広げられる。
共和党なら共和党民主党なら民主党の中で討論が繰り広げられ、その「同じ党内」で勝ち上がった人が最終的に大統領選に選任され、そして党を背負って1対1で戦うことになる。


が、日本の選挙が首相を選ぶものではないから、という面もあるが、それでも、いくらテレビで「徹底討論!」などとやっても、中身は討論ではなく罵り合いになっていたり、揚げ足取りになっていたり、相手のいう事を聞かずにとにかく持論ばかりを述べていたりとするので、見ていても「・・・で?」となってしまい、途中で見るのをやめてしまうことが殆どだ。


つまりは、私の個人的な感覚だが、「日本の政治家は、この人が何をやりたい人なのかが分からない」となってしまう。
やりたいことが分かる政治家となると、逆にれいわ新選組や、旧NHK党の方がまだ分かる。(旧NHK党はひどいもんだと思うが、それでも伝えたいことは分かりやすい)
他には、小野寺紀美さんや西田昌司さんがまだ分かるくらいで、世襲議員の殆どが「この人、なんのプロだろう?」と感じてしまう。


この「なんのプロ」というのが分からないことも、選挙もそうだが組閣の時に「同じようなメンツで、席を入れ替えただけ」に見える理由だろう


分かりやすく言うと、故パウエル国務長官は、陸軍軍人だった。陸軍大将だった人が退役して、政治の道に入り、国務長官になる。
非常に分かりやすい。
軍人だったから、国防が分かる。シンプルだ。
そういったものがどうも日本の政治家にはなかなか表れてこない。

 

西田昌司さんは最近の「自民党一党でいい」発言など、物議をかもすことも言ってしまうが、経済に関してはさすが税理士だっただけあって、下手すると国会中継を見ていると簿記の復習になることもある。
しかし、西田さんは閣僚には入っていない。


日本維新の会、馬場代表の言葉から始まって、上記のようなことを考えると、日本の国会が「ほぼ意味をなさない」まま30年経った理由が分かる気がする。
つまりは、選挙に当選することだけに重きを置いて、その道のプロフェッショナルや、「問題の当事者」が議員にならない、なれないままだったからこそ、経済はうまい汁を吸う人のための政策になり、30年かけて「Made in Japan」の価値をなくし、少子高齢化を止める、少しでもスローダウンさせることも出来ずに無策のまま時間が経った、という事だ。


そしてその根源は、馬場代表の言葉のように「生活すること」「日本という国で生きていくこと」に必死になっている、地に足をつけた国民は「24時間選挙のことを考えてなんていられない」からこそ、当事者不在で食い物にされてきたのではないだろうか。
だって、生活する方が、稼ぐ方が、子供を育てる方が、老いた両親の世話をする方が急務なんだから。


24時間選挙のことを考えられるような人は、逆説になるが、むしろ政治家に向いていない。
選挙に当選することがゴールになっている、また、そのゴールに向かうことに障害がない(仕事、家事、育児、介護etc)ということは、「日本に生きる」ことの実態を知らなければ、知ろうともしていない、と言っているようなものだ。


国民の半数は女性である。
また、国民の中で多くの人が、高齢者であったり、育児真っ最中であったり、介護真っ最中であったりする。
激務で早朝から深夜まで働いているかもしれない。
もしくは働く場所が見つからず、アルバイト、パートを掛け持ちしているかもしれない。

 

上記の条件から全て外れている人が政治をし、国を動かすのであれば、その政治が地に足がついた政策を作れるはずがない。
馬場代表、是非反論頂きたいものだ。