氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

私は何故子供をもたなかったか

少子化対策のたたき台が発表されたが、内容にしろ、財源にしろ何だか雲に包まれている感が拭えない。
そこにつらつらと文句を言ってみてもいいのだが、ちょっと自分自身を振り返ってみようかな、とふと考えた。


51歳、女、独身(離婚歴あり)、氷河期初期世代、正規社員(転職複数回)、貯蓄ほぼなし
「私が何故子供をもたなかったか」


今になって振り返ると、おそらく私には人生で2回、子供を持つ選択が出来たチャンスがあったかと思う。
1度目は20代後半、結婚していた時だ。
2度目は30台前半、離婚してしばらくしてからお付き合いを続けていた相手と、結婚するかどうか、と考えていた頃。
それぞれが私の立ち位置も違っているし、相手の背景も違っているので、そこで何故「子供を作ろう」とならなかったか。
何度か、「もしかしたら」と思った事はあったが、実際に妊娠が確定したことはなかったので、私自身が本当に子供が産める身体だったかどうかは、今となっては分からない。

それでも、産める身体だったと仮定して、その2回のチャンスを逃した(?)理由を思い出してみたいと思う。


1度目は、私が結婚していた間だ(4年弱)。
結婚している夫婦、となると、周りからも、親からも「子供はまだ?」という目で見られる。
私の場合は、特に義母からの「子供まだ」攻撃に日々さらされた。風邪をひいたり、体調不良になったりする度に「おめでた!?」と聞かれ、「おめでた」「子供」「跡継ぎ」・・・そんな言葉自体が既にストレスになった。
ぶっちゃけ、まぁ夫婦生活がなかったわけではないが、私は私で、元夫は元夫で子供を持つ、という選択をしなかった。

 

私の場合:
1.金銭的理由
私は、元夫、加えて義実家の金銭感覚に恐怖を覚えていた。簡単に言うと、浪費家だった。元夫は自分の実家へは新婚旅行のお土産にブランド品を買いそろえるような人だったので、実質、現金での貯金はなかった。なのでもう少し貯金が増えてから、と考えていた。
(ちなみに私は寿退社の風習のある会社だったので、結婚時に退職。諸々落ち着いたら再就職しようと思っていたら、義母が女は専業主婦であるべき、という考えの人だったので仕事に出ることは禁止されていた。)
自分が働きに出ることを禁止されたので、元夫の給与が上がってくるか、何とか支えられるくらいの貯金が出来てから、という流れにどうしてもなる。
(実際は、予想外の出費を全て私の婚前預金から取り崩したので、途中で崩せる預金もなくなり、義母に嫌味を言われながらも無視してパートに出ることにした。しかしあくまでパートなので、学生時代のアルバイトの方が稼げたくらいだった)


2.ワンオペの恐怖
元夫は、「ザ・昭和の男」だった父親の影響か、自分も「ザ・昭和の男」だったので家で全く何もしなかった。
平日は仕事での飲みと、プライベートでの飲み。珍しく早く帰ってきたと思ったら、家で飲み。
休日はパジャマから着替えることすらせずに、一日テレビの前でグダグダ+酒。
私が高熱を出して寝込んでいても、「俺の飯は?」というもう笑っちゃうくらいステレオタイプな古い男だったので、子供が出来たらワンオペになることが目に見えていたので、その不安。


3.義実家の過干渉
結婚時、私は社宅に住むことになったのだが、元夫に騙されて、義実家からすぐの場所にある社宅に決まってしまった。
そのため、アポなし訪問、頻繁にかかってくる電話、手伝い要請、在宅確認ととにかく義母が干渉してきた。
元夫が一人息子だったこともあるのだろうが、夕飯時に姑が元夫の好物を持って来てアポなし訪問、元夫はそちらを食べる(義母の味付けはかなり濃かったが、私は薄味の家庭で育った違いもあった)、結果私の作ったものは翌日に持ち越しか、下手すれば廃棄なんてこともしばしば。
元夫が出張に行っている間に、自分の実家に一泊しようと帰ったら、「うちのお嫁さんがそちらに行ってないかと思いまして・・・」というドラマのような電話が実家にかかり、母に「戻った方がいい」と言われて泣く泣く帰宅。(帰ったところで元夫は出張なんだからいないんだけどね)
それくらいの過干渉だったので、これが子供が生まれました、となったら過干渉が更にエスカレートするだろうという恐怖感はすごかった。
(実際、ノイローゼになっていたと思う。当時は心療内科には行かなかったが、友人は口をそろえて、「あの頃はおかしかった。見ていて怖かった。もっと早く離婚すべきだと思っていた」と言ったのを思い出すと、言動もおかしくなってたんだろうな)
ちなみに、義父・義母どちらとも社交的ではなく、また義母は「一人で何かをする」ことが出来ない人だったので、もし私が妊娠、出産となっていても手助けにはならなかったと思う。


と、結婚していた時にはこれら3つの大きな壁があって、私は積極的に子供を持つ選択をしなかった。
元夫の方は、私がタバコを吸っていたのが嫌で、避妊していたらしい。(私は元々喫煙者です)しかし、ノイローゼになるような環境で、なんのフォローもなく、むしろ生贄のように自分の親に妻を差し出して自分は楽して不倫していたのだから、禁煙なんて無理無理!(もう笑っちゃう)

 

 

2度目にチャンスだったのは、離婚後、「この人と結婚するかもしれないな」と思いながら長く付き合っていた人がいた時。
先に妊娠が発覚したら、もしかしたらデキ婚にはなるけれど、再婚、出産していたかもしれない。
が、そういうことになる前に問題が見えてしまい、結局私は積極的に子供を持つことも、再婚することも選ばなかった。
何があったかというと、

 

1.相手の借金
相手とは10歳ほどの年齢差があったのだが、この不景気のご時世、ビックリするような貯金はなくても、一応それなりの経済観念を持っているのだと思っていた。
が、付き合って、お互い正式ではなくとも相手の両親とも交流するようになってきて、「結婚」が具体化しそうになった時に私はふと、一度目の結婚から得た経験から、お互いの経済状況を話そう、と持ち掛けた。
自分が持っている貯金、当時非常勤ではあったが一応週5で働いていたのでその月収、等を開示した上で、「念のために」くらいの気持ちで相手にも情報開示をしてもらおうと思ったのだ。
そうしたら発覚した借金。
借金があること自体が足止めさせたのではなく、「借金がありつつも返済せずに、他に浪費をしていた」事が分かり、これが一番大きな要因となって私は再婚をやめた。
ン千万の借金ならその金額だけでやめるかもしれないが、まだ返済可能な金額だったにも関わらず、「返さずに浪費する」という行動パターンが「あ、これヤバい」という結論を導いたのだ。
つくづく、先に聞いておいてよかった、と今となっても思う。


2.自分のキャリア
当時、私は非常勤職員として教育機関で働いていたが、正社員登用されるかどうかは分からない状態だった。
非常勤のままだと、正直女一人暮らすのはギリギリ何とかなったが、子供を持つことは無理だな、という手取り額。
常勤(正社員)登用を狙うか、すっぱり転職するか、と考えているところだったので、選択肢としてそれに「二馬力」というものが付け加わった状態。(ようは再婚)
非常勤のままずっと、というのは再婚でもしない限り無理な状態。
なので「再婚するかしないか」と、「転職するかしないか」が絡み合った状態になったので、まさに人生設計という段階だったのだ。


職場としてはストレスも少なく、やりがいもあったので満足していたのだが、何しろ非常勤のままでは収入が少ない。
1人暮らしのまま行くとしても、将来的には心もとない収入だった。
しかし転職すると、30歳過ぎて転職してきたばかりの人間が出産で育休取ります、というのは非常に言いにくいし、制度として育休が使えるかどうかは企業によって違ってくる。
相手の年齢を考えると、もし子供を持つ、となったら早めにとなるので(相手が40代、私が30代だったハズ)、結婚+出産するなら非常勤のまま、独身を通して子供も持たないなら転職、のようになってしまった。
結婚するが転職もして、子供は持たない、という選択肢もあったが、相手にはちょっと言いにくかった。
まさに、「女は産休・育休があるから企業としては困ります」の典型例のようだ。
非常に悩んでいたが、そこに1の「借金」が発覚したので、私はすっぱりと転職、へと舵を切ることが出来たのだが、それがなかったらかなり難しい人生の選択になっていただろう、と思う。

 

自分、という個人を通して「何故産まないか」「何故産まなかったか」を考えるというのは、ミクロからマクロへの問題提示につながっていくと私は思っている。
「私」というフィルターを通すことで見える少子化の原因は、

 

1.経済的理由
2.「女性」に絡むしがらみの多さ(ジェンダー問題、と言い切るのは早計で、嫁姑など、女性同士でも問題はある)
3.パートナー、及び周囲に「チーム」を組める人がいるかどうか
4.自分自身のキャリア

 

ということになるのかな。
あくまでも、「私」というフィルターなので、また別の女性のフィルターだと他の問題も見えて来るかもしれない。

今、50代になって少子化がクローズアップされ(いや、ずーーーっと前から分かってたじゃんとは思うが)、あれこれと議論されたり国会審議されたりしているものを見たり聞いたりして感じるのは、

「結婚と出産はうっかり勢いで」

じゃないと出来ない、割に合わないってことだったりして、と思いだ。
考えれば考えるほど、枝葉末節が気になってくるし、それを全て解消するのは不可能だと思うし。
予め考えてしまったら、なかなか踏み出せない。
そして私は踏み出せなかった。
今はまだ後悔はしていないけれど、死ぬ前には後悔するのかもしれない。それは分からない。
それでも、同僚だろうが、親戚だろうが、電車で偶然近くに座った人だろうが、お子さんと一緒で大変そうな人がいたら、手伝えたら手伝おう、それが出来なかったら、せめて文句を言ったりするのはやめよう。
そんなことを考えた春の一日。