氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

30年前のアメ缶事件

週末に、今まさに新人研修の講師になっているかつての同僚と話していて、若い子のビックリエピソードとか、ほのぼのエピソードなどを聞いて楽しい時間を過ごした。
私はもう10年以上、新入社員という人達は採用していない、中途社員採用オンリーの会社で働いているので、なかなか「ピッカピカの1年生☆社員」には出会わないのだが、話を聞いていると面白くもあり、時代を感じたりもして、非常に盛り上がった。

その時、「職場でお腹がなるから・・・」から発展した、「ちょこっと一口」お菓子系の話で、自分自身が新人社員だった頃を思い出した。


私が新入社員だった頃は、まだまだ「お茶くみ」「朝の掃除」「コピー機周りのメンテ」「お土産配り」「接待の付き添い」などの今だったら速攻問題になりそうな業務が当然のように女性の仕事に組み込まれていた。
顧客の飲み物の好み、「この人はコーヒーにはミルクだけ」「この人は砂糖だけ」「この人はブラック」「コーヒーは飲めないから紅茶か日本茶」などを覚えていると、顧客にもウケがよく、こちらも顔と名前を憶えてもらえる、という時代だ。


正直めんどくさいなぁ、とは思っていたが、当時は「当たり前」だったので、自分の仕事もしつつ、そういった雑務もやっていた。
男性が20人弱いる中、女性は私と、時短の先輩の2人。
先輩には私からはお願いできないので、割とこういう雑務に振り回されていた。先輩の手が空いていたり、先輩の方が馴染みのある顧客だったりすると先輩が対応してくれた。

それでもやはり新米がやることは多かった。ただ、その代わりと言っては何だが、誰かの出張帰りのお土産、お客さんからの差し入れのお菓子などは、私とその女性先輩が先に選んでよかったり、お客さんに出すお茶菓子を買いに行くときには、私と先輩2人分もプラスして買っていい、等の不文律があったので、そこは「雑用のお駄賃」として頂いていた。
(まぁ、それでも気を使って、例えば「抹茶味は好きな人が少ない」など、そういうのが分かっている場合で自分はOKだったりすると、先に抹茶味をキープしたり、という感じではあったけれども)


そんなある時、上司の誰かが家族旅行に行ったお土産で、缶入りのお菓子を頂いた。
これは、私と先輩の2人だけに特別に、という感じ。
中身は勿論美味しく頂いたのだが、缶を見ていると、丁度アメとかを入れておくのにちょうどいい感じだった。
(電話も結構かかってくるし、かけることもあったのでのど飴やらは常備。先輩が時短だったので、残業は全て私だったから、小腹が空いた時にはちょっとカロリーのありそうなアメとか、チョコとかは必需品)


これは使えるな、と思ったので(フタもちゃんとついていて、大きすぎもせず小さすぎもせずのいい感じの大きさだったし、机の上に置いていても「変」には見えなかったので)、私はそれから、大袋で買ってきたアメやらをその缶に入れておくようになった。
缶に移し替えるから、のど飴とスコッチキャンディ(時代が・・・)、小梅ちゃん、いちごミルク、と色んな種類が入れられたのも丁度良かった。


小さなシアワセ、と、たまにそこから「今食べたいアメ」を出して食べていた。


それから、たまに「ん?」と思うことが出てきた。
何となく減ってる気がする、とか、小梅ちゃんを食べた記憶がないのに、補充したハズの小梅ちゃんがナイ、とか。
これは誰か残業中にでも食べてるな、とは思ったが、新入社員の私が「私のアメ食べたの誰!?」とも聞けるはずもなく、まぁアメくらいだから、とそのままにしていた。


そしてある日、朝出社したらアメ缶が「空っぽ」になっている、という事件が起きた。笑
私は無意識に「あれ、ない!」と口に出したようだが、その日は誰も何も言うこともなく、私もおとなしく昼休みにまた売店でアメを買って、補充した。(社内に売店があったのデス。コンビニはなかった)


翌日、出社したらまた空っぽ。しかし、中には500円玉が一つ。
他部署だが、席だけ近い総務事務の女性社員が「昨日、ない!って言ってたもんね~誰か、犯人がお金入れたわね」と笑って説明。
(ちなみに当時私は一応営業事務)
「あ~、そういうことかぁ」と思って、大体アメ一袋が200円とかだったので、倍額入っていたことになるから、ま、ラッキー、と思って私はまた売店に買いに行った。(アメがないと心もとなかったんです)
そりゃあ、新入社員の私が一番薄給だし、誰が犯人(笑)だとしても、私よりはもらっているはず。
今まで減ってた気がしたのも、やっぱり気のせいじゃなかったんだな、なら過去分も入っていると考えて有難く頂こう、と、御礼を言おうとする行為が犯人探しになってしまうので、私は総務事務の人とそんな話をわざとして、「まいどあり~~~って感じですかね」なんて言うことで、一応御礼を言った事にしていた。(自分の中で)

 

そんなのが何度か続いてから、まぁ売店ですぐ買って来れるし、完全に空っぽになった後にはいつも500円玉が入っていたので自分の懐がそこまで痛むこともなく、私の机の上にはアメ缶が鎮座していた。
勿論私も食べていた。
しかし、なんとなーーーく小梅ちゃんを食べる気がしていなくて、さっぱり系はフルーツなどにしていたある日、私は犯人を特定することになったのだ。


朝出社して、アメ缶を持ち上げた瞬間、「カラン」という音と、軽さ。
これは500円玉だな、と思って開けたら、やはり500円玉。
しかしそこにはポストイット「小梅ちゃんお願いします」のようなメモが入っていたのだ。(爆笑)


当時はまだ一人に一台PCがあるわけではなく、1部署に1台~2台、使うのはほぼ下っ端のみ。
上司からの指示や、自分が作成した文書に添削してもらうのは全て手書き。Faxも、勿論手書き。
契約書などの量の多いものは、社内にいた専門のタイピストさんにお願いする時代。
私は下っ端としてPCも使っていたが、PCで出力したものに添削してもらうのも、上司の手書きの時代。当然、私はほぼ全員の筆跡を知っていた。
(なんなら、直属の上司などの筆跡は見なくても真似出来るようになっていた)
なのでその「小梅ちゃんお願いします」を見た瞬間、一番親切で、でも仕事に対する打ち込み方などはしっかり指導してくれる課長さんの筆跡だとすぐにわかったのだ。


「あーー!〇〇課長だったんですねーー!!!」
と思わず言ってしまいました。
課長爆笑、私爆笑。部内大爆笑。
「オレだけじゃないよぉ。残業中にみんなちょこちょこ頂いちゃってて・・・・ははははは」という感じ。
その課長さんも、実はこっそり机の最下段にクッキー等隠している人だったので、私が残業でお腹が減って、アメだけでは足りなかったら課長の机を漁ってお菓子をゲットしていい、ということになって、実に平和に解決した。


PCも少なく、殆どが手書きで、テレックスやFax、電話。
今のようにインターネットもないので、輸送中の貨物の場所を確認したりは、航路図を見ていたあの頃。
効率はめちゃくちゃ悪かったし、サービス残業は多かったし、つらい思いもたっくさんしたけれど、そんなほっこりしたこともあった。


PCやネットのおかげで、仕事も随分楽になった部分もあれば、難しくなった部分もある。
当時は別のことに苦しんだし、怒りもしたが、今は他のことで苦しんだりしている。
しかし、仕事に関して「怒り」は殆ど感じなくなった。そんなもんだ、と世の中の発展についていけるように頑張りつつ、またいつ転職するか分からないので、武器を増やしておくしかない。
職場の人間関係では「怒る」事はあるが、若い頃の「怒り」とは違う気がする。


「置かれた場所で咲きなさい」
という言葉はあまり好きではないが、自分が出来る範囲で「置かれた場所」で頑張って、臨界点に達する前に「違う場所」に移動して咲けるようになればいい。

苦しいだけ、本当に1ミリも「楽しさ」「充足感」「満足感」「ほっこり」がない場所、というのはあまりないように思える。
ないように感じても、それは気付いていないだけだ。
それこそ、私が上司達の筆跡を覚えていたからこそ、あの毎日営業成績を追い、残業代が出なくても「自分がやった仕事」と言えるように、もがいてもがいて仕事していた環境で、「小梅ちゃんお願いします」で大爆笑、ほっこりすることが出来たのだ。

ただ苦しんで、心身ともにヘトヘトになっていただけではなかった。そういう仕事の中で、筆跡を覚えることで「ほっこり」に辿りつけたのだから。


課長、お元気だといいな。
最初の会社に私が居続けたところで、絶対に今の年収にはならなかったし、昇進することもほぼあり得なかっただろう。
今は、まだマシな環境にはたどり着けているし、わりとヘッドハンティングのメールをもらったりもしている。
こういった事は、今まで苦しんできた分、もがいてきた分、自分が得ることが出来た経験値だと思っている。
新入社員だった、ひよっこだった私をすごくよく知っている課長。
今お会いすることが出来て、話すことが出来たら、なんて言うだろうか。
お土産に小梅ちゃん持って行ったら、思い出すだろうか。
そんなことを感じた春の一日。