氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

地方が生き残る道は・・・

地方都市での就職活動(高卒)も始まって、地方企業も苦戦しているようだ。
何しろ人が足りない、という声が多く聞かれる。

それは確かにそうだろう。
地方出身者でも、大学まで行ってしまうと都心(特に東京)で就職する人が多くなるだろうし、地方国立大卒でも、やはり「本社が東京」や「本社が大阪」などの企業を選びがちなようだ。

なので狙いは高卒、となるのだろう。


既に血縁がほぼ他界してしまったので、もうほぼ行くことはないだろうが(行くとしたら墓じまいのためかな)、私も両親の本家などは地方にあるので、ちょっと長めに逗留した時等、その地の話を聞くことも結構あった。
お嫁さんが来ないとか、田んぼを継ぐ人がいないとかに始まって、あの家のじいさんが首つった、とか、あそこの家の長男の嫁は逃げたらしい、とか。
正直、「うーん、田舎」と思うような話ばかりだった。


それでも、限界集落のような言葉を聞くことも多くなり、地域おこし協力隊のトラブルなども目にするようになり、他方では自分の血縁の話(地方在住の)を聞いていたというのもあって、双方の目で見てみると、申し訳ないが、「いや、そりゃ誰も来ないよ」と言いたくはなる。

 

まだ、男性なら地方都市で就職してというのも可能だと思うが、女性は本当に仕事がないし(あったとしても「誰か他にメインで稼ぐ人がいて、その補佐」という給与額だし)、保育園も幼稚園もない。小学校も山を越えてあるかどうか、なんてこともある。
(かといってスクールバスなどがあるわけではないので、家の誰かが送り迎えをするようだ)
なので、女性が単身、地縁もない地方で就職する、というのはほぼあり得ないだろう。
かといって、男性で単身、地縁のない地方で暮らし始めるというのもなかなか難しいと思う。
ある程度地縁がつながっています(それこそ、住んでいるところから遊びに出るために電車で行ける距離とか、車で行ける距離とか)ならまだしも、全く関係がないところで、というのは難しそうだ。

 

社宅などがあればまだ別かもしれないが、そうでなければ、ある程度近所付き合いが出来ないと単身で暮らすハードルが高くなる場合もある。
同じような環境の人ばかりが集まっている集合住宅、とか、社宅、でなければ、どうしたって「不審者」にならないために自分はこれこれで、こういう人間で、こういう事をしていて、と情報開示をしないと煙たがられるだろう。

 

今はネットの時代だから、リアルで住んでいるところで浮いてても構わないや、と思う人も多いかもしれないが、地方の、あの、スーパー、もしくはなんでも屋に行っただけでジロジロと見られる感覚や、下手をしたら普通に郵便受けを開けられる感覚に耐えきれるとも、あまり思わない。


企業もそういうことまで考えて、人を集めていたらいいのだけど。


また、先に書いた地域おこし協力隊に関し、起きているトラブルやこれまでに協力隊として参加したけれど・・・という例を見たり、聞いたりしている時にも感じるが、やはり地域の人達と、そこに移り住んだ人の「当たり前」の違いがトラブルの発端になるのかな、という気もする。
「当たり前」だから口に出して確認しなかったことの考えがズレているので、どんどんズレが大きくなっていってしまうのではないだろうか。(この「当たり前」が常識ではない、というところも大きいのかも)

 

そしてそのズレが大きくなったところで、既に炎上寸前の状態で双方が気付き、その頃にはなかなかトラブルを解消する事は出来なくなっている・・・という感じだ。
そんな時、明らかに立場が弱いのが、移り住んできた方の協力隊だ。
なので、最終的には協力隊の契約期限前に離脱する事になったり、このまま定着しようと思っていたのを、やめて都心に戻ってしまったり、という事になる。
何しろ、地域の人達は「そこにそもそも居住」しているので、トラブルが起きたとしても別に何も変わらないからだ。
トラブルが起きても、自分たちはそこに住み続けるし、自分たちの立ち位置も変わらない。


・・・と、信じているから何度も同じようなトラブルが起きるのだろう。
私があえて「信じている」と書いたのは、地域の方々が見ていない視点として、「そのまま、新しい人(移住者であれ、産まれた人であれ)が増えなければ、自分たちがもっと困ることになる」という点だ。
(良くない地域になると、地域おこし協力隊を「3年ごとに来る労力」と見ている地域もあるような話もないわけではないが、あまりそれは信じたくない話でもある。)
今はギリギリ、自分たちで何とか町、村、集落を保つことが出来ていても、数年以内には皆もっと年を取り、体も動かなくなる。
「新しい人」が入るという新陳代謝が起きない限りは、どこかで限界が来る。


なので、地域の人達はいずれかの時点で、「他者との折り合い」を付けるか、「買い物、医療、全てへのアクセスが断たれて滅びる」を選ぶしかなくなるのではないだろうか。(まぁそこで、行政にタクシーのサービスを求めたりなんだりとなるのだろうが)


私は個人的に、地方での就業人数を増やすことと、地域おこし協力隊のように「地方移住」を考える人を受け入れるのは同じようなものだと思っている。
例え高卒で地方企業に就職してくれても、「あ、やってけないわ」と思ったら、都会に流れてしまうだろう。
(都会からは、優秀な人材、また多国語を使える人がもっと流出していくと予想しているから、そこに空きポジションが出来ることになるので)

 

それでも地方が生き残りたい、とするのであれば、例えば「新地区」「旧地区」のように住民の構成によって居住場所を分けたりすることで、元々のしきたりの中で生きたい人達と、新しく入居した住民でトラブルが起きないようにするしかないのかな、とも
思っている。

古くからのしきたり、というものすべてが悪いとは思わないし、伝統として残すべきもの、独特の民話、のように口伝で残っていくものを大事にしたいという気持ちはある。
しかし、外からその地に来て、滅びかけていた集落などを立て直してくれるならば、「全て古きに従え」は続かない。


それこそ、かつては「女は三界に家無し」などという言葉があったが、現代でそれを強制したら、「あ、じゃあ結婚やーめた」とパッと身を翻してさっさと出て行ってしまうようになったように、時代は変わっている。
地方では、「習わし」「しきたり」を大事にしているかもしれない。それを「全て」捨てろとは言わないが、今は既に日本の中の他の都市、または他国にまで世界は広がっている。
時が止まったように「そのまま」で居続けられるのはホラーな世界観だけだろう。


必要なところはアップデートし、または折り合いをつけて行く。
地方就労人数を増やすことも、地方の人口を増やすことも、そういった動きが必要なんじゃないかな、と思うのだ。