氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

中国はどこに向かうのか

中国がまた変わろうとしている。
破竹の勢いで高度成長を遂げ、あっという間にデジタル大国になった中国だが、現在は失業率も高く、色々とほころびが出てきているようだ。


個人的には私は中国は嫌いではないし、一応史学科から卒業した身とすると、シラバス上は一番時間をかけ、勉強した国になる。
(私自身が卒論に選んだのは別の国になったが)
中国に留学していた友達もいるし、まだ別途渡航ビザを取らなければいけなかった頃だが、その留学中の友達に会いに行った事もある。
まぁ、何度も行っていたのは圧倒的に香港だけど。
(イギリス領の頃からカウントすると、結構な回数行っていると思う。なんの予定もないのに、ふらっと行った事もある)


そんな感じなので、中国の嫌な報道や、一種陰謀論めいたものを見かけると、非常に微妙な気持ちにもなるが、それでも嫌いになり切れないあたりが切ない限りだ。


私が北京や天津に行ったのは確か1995年くらいだったかと思うが、北京もまだオリンピック前(北京オリンピックは2008年)だったので、道も整備されてないところが多かったし、中国語しか通じないところも多かった。
大学で中国語はやっていたけれど、私の下手な中国語よりむしろ英語の方が通じたし、全く通じない時は筆談、もしくは友達が一緒にいる時は通訳してもらった感じだ。
故宮紫禁城)も、中国人価格と外国人価格が別にあったし、有名なニーハオトイレ(トイレの個室のドアがない)も普通にあった。
友達と顔を見ながらいたすのはさすがに、と、隣同士にしたり、時間差を作ったりしたのを覚えている。


タクシーも、中国語が話せない人には危険なものもあったので、留学中の友達と一緒の時だけ使い、それ以外は結構地下鉄とかを使っていた記憶がある。
当時勤めていた会社の北京駐在員が知っている人だったので、何日か、ハイヤーを手配してもらったりもした。
(会社が契約しているハイヤーなら、遠出しても大丈夫だったので、確かそれで万里の長城(八達嶺)に行ったような。)


しかし残念な事に、当時既に仕事をしていたので、休める日数が足りず、上海まで行くことは叶わなかった。行っておいたら、今、「かつての上海」と「今の上海」の違いにビックリしたり出来ただろうになあ、と思う。

 

私が「かつての」と、「今の」をハッキリ知っているのは香港になるが、行き始めた当時はイギリス領だったのが1997年に中国に返還され、特別行政区となった。
外資系ホテルは英語がメインだったのが広東語がよく使われるようになり、九龍側はより「中国っぽく」なり、香港島はギリギリ「何となく西欧」の雰囲気だったが、それでもかつてはいなかった、路上での物売りがいたりと、やはり変わっていっている事を実感する。

 

なので、以前は香港では「海外にいる時の防犯」というモードに切り替えて行動していたのだが、直近で行った時は、空港に着いた時点から何となく気持ちが「中国だぞ」というモードに変わった。
公共施設の写真は撮らない(空港とか駅とか)、とか、そういった場所で不必要にスマホを見ないとか。(公に禁止、となっている場所もあれば、空気読んで撮らない方がヨシ、もある)
後は、通話は出来る限りしないとか。


普通に「観光客が写真を撮りそうな」ものを撮っているのはいいが、例えばふとした興味でビルの上の方から、階段を下に見下ろす感じで撮影、とかは警備員が近づいてくることがあるので撮らない。(面白いから撮りたいんだけどね)


こういった事は、スパイ行為を疑われないための防衛だ。


かつて、北京に行った時には友達を待っている間に古本屋をのぞいて、三国志だぁ~などと、装丁の綺麗なものを探して買ったりもしたし、香港でも芸能雑誌をお土産にするために、古本屋で過去の本を探したりもしたが、こういったものも今はちょっと買いに行くのも躊躇してしまう。
パラパラと見ているくらいなら大丈夫だろうが、特に理由もなく観光でブラブラしていると、ふとしたところから「あ、今見られてる」という事を感じたりするから、疑われる行為は避けた方が無難だ。
特に直近は、一人でフラっと行ったので、誰も私の事を証明できる人はいないし、私がいなくなっても、家族や友人が気付くのは相当後になってしまうので気を付けた。


日本や、行きやすい欧米と共産圏の違うところは、「疑われて拘束されたら下手したらそのまま」というところだ。
香港は経済特区にはなっているが、だからといって気を抜きすぎるのは危ない。
まぁ、「やっちゃダメモード」に自分を切り替えておけば、何とかなるのだが。


中国が現政権になる前から、何となく壁が高く高くなっていった感じがしていたのだが、今はもう具体的な用事(それこそ出張とか)がない限りは、あまり気軽に本土には行けないだろう。
香港、上海なら「観光」としてふらりと行けるかもしれないが、体感的にはじゃあロンドン行きます、とか、パリ行きます、LA行きます、のような「気軽感」とは違う。複数人で行くならまだしも、私は一人でフラっと旅行に行くことが多いので、余計に。

 

むかーーーし、トランジットでモスクワで一泊することになってしまった時に感じたような、「あ、大人しくしておこう」という雰囲気。
別に疑われることをするわけでもないし、悪い事をするつもりもさらさらないのだが、あの、何となく「見られてるな」と常時感じているのは、やはり何だかムズムズしてしまう。
モスクワ一泊の時も、別に何かあったわけではないし、空港ではサーティワンアイスのスタンドがあったから「わーい」と見に行ったら10種類もなくて、あらま、となって、マシンガン(勿論本物)をスタンバイしながら見回っている軍人さんを見ながらバニラかチョコか、オーソドックスなアイスを大人しく舐めていたのを思い出す。
(多分25年前くらいだが、空港警備の軍人さんの制服が男女共にめちゃくちゃカッコよく、モデルか?ってくらいのスタイルの人もいたので思わずボケーっと見てしまっていたが、別に怒られたりはしなかった。)

 

空港の天井に一部穴が開いていて、そこから鳩が入ってきて飛んでるのを眺めたり、滑走路をボーっと見ていたら、犬が走っていて、あの犬、ひかれたりしないかな、大丈夫かな、と心配になったりもした。


今はロシアには勿論行けないが、行けるとなってもやはり壁は感じるだろう。
壁の高さは、案外中国と同じくらいに感じるかもしれない。(今の戦争が終わったら)
同じ社会主義国でも、ベトナムに行く、となった時にはそれほど壁は高いとは思わない感じがする。
このあたりの差は何なんだろうなぁ。あくまでも私の個人的な体感だけど。


これから中国は、隆盛期から一度、落ち着くための微妙な位置になるのかもしれない。
どうなるかは、中国の出方次第だし、それを待ち受ける諸外国次第にもなるだろう。
でも、生きている間に「変わった中国」を見に、また行きたいなぁと思うのだ。
もうなくなったかもしれない古い町並み、大学近くの古書店街、音楽ショップ。ビニールののれん。
翡翠で作ってもらえる判子。
様々な太さの筆ばかりを取り扱っている店。
「実によって当たり外れがあるね」と笑いながら食べたサンザシ飴。
トイレットペーパーを持ってトイレに行かないといけない、大学の招待所。


こんな風に当時の情景を思い起こしたり、それが今はどうなっているのか、と思ってしまうのは懐古趣味かもしれないが、一応順当に「老後」を迎えることが出来たら、確かめに行ってみたい、と思っている。