氷河期初期世代おばはんの日々うらうら

就職氷河期初期世代のおばさんが時事問題に思ったりすることや、日々のあれこれ

おじさんとおばさん、リアルとついった

私は、自分自身「おばさん」だし、後10年経たないうちに「おばあさん」と言われても仕方のない年齢に達する、ということを自認している。
別に誰でも年は取るし、おばさんである自分も嫌いではないし、おばあちゃんと言われるようになっても、おお、もうそう見えるのか!と面白がる自分がいるような気がする。(ま、初回はガーンってなるかもしれないけどね)

 

実際、昔からの友達とは既に四半世紀を超えた付き合いになっているし・・・。
なので、周りから「おばさん」と言われても、職場でかなり年齢の離れた若い子が中途採用で入ってきて、あれこれと説明したりしてるうちに向こうがうっかり、「お母さん」と言ってきて、赤面する(その若い子が)なんて場面も結構ある。

(言われ間違いNo.1は「お母さん」、No.2は「先生」だな)

 

海外に行くと、「Lady」と呼ばれていたのが「Ma'am」になったり、「Mademoiselle」と言われていたのが「Madame」となったりして、30代中盤くらいからか、自分が呼ばれているかどうか分からなかったりして、ホテルのコンシェルジュをガン無視してしまった事もあった。
ドイツだけはFrauで変わらないのだが、一番行っていたのがドイツだったのでそれに慣れていたんだな)

 

そういう「呼称」だけでも、自分の年齢を実感する場面は多々あるし、周りから返ってくる対応で感じることも多々ある。


そんな「おばさん」になった私が思うのが、「ん?最近はおじさんには面白いパターンがあるんだな」ということ。
同世代や、ちょい上、ちょい下を見ていて思ったのだが、同じようなスーツ、同じような服装、まぁ髪の毛が後退してきたなぁとか白髪が増えたねぇとかも勿論あるのだが、

 

1.おにいさん → おじさん予備軍 → おじさん
という正攻法な人もいれば、


2.おにいさん → おにいさん??? → おじいちゃん?????
のように「おじさん」をすっ飛ばした感がある人もいる。


3.おじさん?? → おじさん
という、若い頃から妙に老成したというか、落ち着きすぎていて「おにいさん」に見えなかった人が、普通におじさんになっていると何故かホッとする。

そして私が最近で一番驚いたのが、
4.おじさん?? → おにいさん???? → おじさん
という変形パターンだ。

 


若い頃、会っていた頃は落ち着いてるからおじさんっぽく見えていたが、40代前半くらいで「え、若返ってない?」みたいになって、そして現在、またおじさんに戻っているという変形パターンを最近見て、思わず「なんか、30代の頃に戻ってない?」と言ってしまった。
笑いながら、「みんなに言われる。おじさんに戻ったって言いたいんだろ」と言ってたので、本人も自覚したのだろうか。
何だか面白くて、40代前半に何があったか聞いてみたら、転職活動のためにスーツをちょっといいものに買いなおしたり、まめに散髪に行ったりしてたら、自然にそうなった、と。
特に体重などがいきなり減ったわけではなく、ちょっと変わった転職活動だったので緊張して、カロリー消費してたんじゃないかなぁ、と本人は言っていた。

 

体重はさほど変わらなくても、転職活動の中でまぁ移動距離は増えていただろうし、緊張もしてたのもあって筋肉も使っていただろうし、それで体が自然に引き締まったのかな?
転職ってダイエットになるのか、と大笑いしてしまった。
(本人も笑っていた)


コロナ自粛が一応終了したとはいえ、まだ感染も広がっているし、私は元々そこまで「積極的に飲みに」行こうとするタイプではないので、何かの用事がない限り人と会わない生活になってしまっているが、3年会ってなかった友達が、やっと展示会に行けるようになった、とかで上京してくることも増え、なんとなーくそれでご飯食べて、とか、新幹線の時間まで飲んで、とかが増えてきた。
この、3年間がすっぽり抜けたことも、お互いに「なんか、変わったね」となる要因なんだろう。

 

何しろ私は出不精なので、コロナにかこつけて仕事はしてるが、実質引きこもり!!!という生活を満喫してしまったわけだ。
なので今、「お前はほんとに出てこなかったよなー」と笑われながら、東京やら品川の構内にあるレストランでうだうだとイジメられている。(笑)


X(旧ついった)を見ていると、男性陣はどういう生活を送ってるんだ?と思考迷子になってしまうが、リアルでは普通に、所帯持ちも独身も、男も女も仕事をして、子供が高校に入ったとかそういう話が上がり、「お前、顔立ち変わってないのに白髪増えすぎ!!!奥さんに見せたい!」と写真を撮られたりする。(奥さんも知り合い、という人が多い)


ああ、ちゃんとみんな生活してるんだ、と、何だかホッとする。


コロナで出張行けなかった間に、パスポート失効しそうになって慌てた、とか、車売ったよ~、駐車場高すぎ、とか、リモートばっかりの頃は出勤したいと思ったけど、夏場はやっぱりリモートが最適、とか。
お子さんの話、ペットの話、親が病気でとか、そろそろ永代供養考えた方がいいのかと悩み中とか、コロナの間にあのパクチー屋さんつぶれちゃったね、美味しかったのに、とか、どこそこの駅の工事ってもう終わったんだっけ?とか(何年もずーっと工事の駅がある)。


リアルではこうして「生活」が続いていて、そして帰りの電車や、家でボーっとしながらXを見ると、男が女がとやっている。
すっごい、シュールな光景な気もする。
片方では男女論なんて関係なく、「家族」や「友達」、「職場」などが世界を構成している。
勿論、その中には実際は嫁姑のいがみあいがあったり、子育ての苦労があったり、職場復帰の大変さがあったり、失業や転職など、そういったトラブルもある。
しかしよほどそういうトラブルが相当ピンチな状況になっていない限りは、前面にドドーンとそれが出て来る事はない。
お子さんが娘さんで、高校から電車通学なんだけど痴漢が不安だ、とか、どういう防御法があるかとか、そういう話は出る。
もう少し年が下のお子さんだと、性教育って難しいよなぁ、とか。
それでも何となく、話を聞いていると「彼らの世界」というのがちゃんとあって、そこから派生してくるトラブルなので、「では、いかにして回避するか」とか、「分かりやすいいい本とかないかな」とか、そういう枝葉、のように感じるのだ。

 


それを聞いている独身、猫の下僕の私は、様々な業種を転々としてきた経験や、他の友人から聞いた話などを合わせて、「今はこういうのがあるらしい」などでスマホで検索したりする。(勿論その中には、ついったで教えてもらったアプリなどもある)

 

現実、リアルな世界とバーチャルな世界。バーチャルの中でも、特にSNSという雑多な世界。これが混在しているのが、今の私の世界、ということなのか。


SNSがなかった頃、また2ちゃんねるもなかった頃、もっと遡るとPCという手段がなかった頃は、「リアル」しかなかったわけだ。
それが、今は自分のリアルに全く関係のない人ともつながれる(つながってしまう)ようになり、便利になった面も大きいが、「自分より恵まれた人がいる」という事を突きつけられて病んでしまう人もいる。

 

SNSやネットをほどほどに、というのが一番いいのだろうが、一度始めてしまうとなかなかそうもいかなかったりもする。
でも、言えることとしては「SNSはあくまでもSNS。リアルが一番」と理解しておくのが大事なのではないだろうか。

 

などと考えていた週末だった。